浜田省吾さんの名曲「悲しみは雪のように」を知っていますか?
世代を問わず、誰もが聴いたことがある冬の定番ラブソングですよね。
その「悲しみは雪のように」ですが、実は、元になった詩があります。
それこそが、詩人・吉野弘さんの「雪の日に」です。
今回は、そんな浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」の元となった吉野弘さんの「雪の日に」を紹介します。
浜田省吾「悲しみは雪のように」の元になった吉野弘「雪の日に」とは
浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」の歌詞は、ほとんどの方が知っているかと思います。
もしあんまり知らないかな?って方は、まずは下記のYouTube動画をご覧ください。
浜田省吾「悲しみは雪のように」YouTube
上記は、浜田省吾さんの公式YouTubeチャンネルで配信されている動画になります。
ということで。
これより先は、浜田省吾さんの「悲しみは雪のように」の歌詞を知っている前提で、吉野弘さんの「雪の日に」を紹介します。
吉野弘「雪の日に」とは
吉野弘さんの「雪の日に」は、吉野弘詩集に掲載されています。
上記、吉野弘詩集の四季・冬という章に「雪の日に」は掲載されています。
浜田省吾さんが、吉野弘さんの「雪の日に」からインスピレーションを受け「悲しみは雪のように」を作ったエピソードを知って、改めて読んでみました。
吉野弘「雪の日に」の内容
吉野弘さんの「雪の日に」とは、どんな詩なのでしょうか。
全文掲載するのが一番なのですが、著作権の問題などありますから、個人的に読んでみた感想を書いてみたいと思います。
ざっくり、詩の内容をいうと。
雪は白く、純白と思われている。
だけど、本当は、純白でも純粋でもない。
雪は見た目で清廉潔白みたいに思われている悲しい存在。
汚れない雪なんてない。
雪は自らの汚れを隠すために、白い雪をかさねるように降らしている。
みたいな詩になっています。
浜田省吾「悲しみは雪のように」と吉野弘「雪の日に」比較
率直な感想をいうと、確かに「悲しみ」や「雪」という言葉が出てきますが、まるで別物という印象でした。
実際、「雪の日に」と「悲しみは雪のように」には、同じ言葉の言い回しは一つもありません。
浜田省吾さんが自分で「雪の日に」インスパイアされたと言っているのだから、まあそう言われたら「雰囲気は、ちょっと似ているかも」という程度のものです。
「雪の日に」YouTube動画
実は、この「雪の日に」は、合唱組曲「心の四季」の一つになります。
下記動画は、豊中混声合唱団第53回定期演奏会(2013年7月6日)ザ・シンフォニーホールで歌われている「心の四季」になります。
「雪の日に」は、4:38分頃からはじまります。
「悲しみは雪のように」との違いに興味がある方は、参考までに聴いてみてください。
吉野弘のその他の詩「I was born」と「祝婚歌」
ちなみに、吉野弘さんの詩で有名なものは「雪の日に」の他に2つあります。
2つとも、前述した吉野弘詩集に掲載されています。
I was born
ひとつは、I was bornになります。
吉野弘さんの代表的な詩になります。
ざっくり内容をいうと、「父と息子が散歩している途中で、見知らぬ妊婦さんとすれ違った時、息子が気づく命の真実みたいなもの」になります。
タイトルであるI was bornの意味は。
正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね。
祝婚歌
結婚式の贈る言葉の定番ですから、知っている方も多いと思います。
スピーチに立つ誰か一人は、吉野弘さんの詩であるこの「祝婚歌」を、はなむけの言葉として贈るのではないかと思います。
内容は「結婚生活においては、立派にしようとか、正しさとか、完璧とか求めない方がいいよ」みたいなことになります。
もし大事な娘や息子、親戚のメイやオイなどが結婚する時には、下記の詩集を贈ることをおススメします。
面と向かって言うのは恥ずかしいけど伝えておきたい言葉があります。
そんな時に、ピッタリの永久保存版の本になっています。
贈られてすぐは気づかないかもしれませんが、いつか必ず感謝することでしょう。
特に、この詩の最後の部分は、夫婦(カップル)の究極のカタチ(到達点)だろうと思います。
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
まとめ
今回は、浜田省吾「悲しみは雪のように」は吉野弘「雪の日に」から⁉徹底解説を紹介しました。
今さら言うまでもなく、浜田省吾さんことハマショーは日本を代表するミュージシャンです。
今回は、そんな浜田省吾さんに影響を与えた詩人・吉野弘さんの詩を紹介しました。
浜田省吾さんが好きな方は、きっと吉野弘さんの詩も好きになることでしょう。
優しいけど力強い、2人には、そんな共通点があります。