尾崎豊『十七歳の地図』は誰が作ったのか|須藤晃と中上健次『十九歳の地図』

尾崎豊 『十七歳の地図』 の真相 歌詞考察

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尾崎豊の代表曲『十七歳の地図』を知っているだろうか。

『15の夜』『十七歳の地図』『卒業』は、尾崎豊の「10代三部作」とも呼ばれる楽曲である。
特に『十七歳の地図』は1983年に発売されたデビューアルバムのタイトルにもなっており、尾崎豊という存在を象徴する作品となっている。

この曲については、中上健次の小説『十九歳の地図』に影響を受けて作られたという話を耳にしたことがある人も多いかもしれない。

しかし実際には、この関係は少し違っている。

『十七歳の地図』というタイトルを考えたのは尾崎豊本人ではなく、プロデューサーの須藤晃だったのである。

ここでは、尾崎豊『十七歳の地図』と中上健次『十七歳の地図』の関係、そしてそこから見えてくる尾崎豊というイメージの作られ方について考えてみたい。

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尾崎豊『十七歳の地図』とはどんな歌なのか

『十七歳の地図』は1983年に発売された尾崎豊のデビューアルバムのタイトル曲である。

このアルバムは尾崎豊が高校を中退した直後に制作された作品であり、10代の衝動や葛藤がそのまま刻み込まれている。

収録曲には

  • 『15の夜』

  • 『十七歳の地図』

  • 『I LOVE YOU』

  • 『OH MY LITTLE GIRL』

など、後に広く知られる名曲が並んでいる。

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『十七歳の地図』の歌詞には

「くわえ煙草のセブンティーンズマップ」
「半分大人のセブンティーンズマップ」

といった印象的なフレーズが登場する。

17歳という年齢は、子どもでもなく大人でもない境界線の年齢である。

社会への反発や焦り、行き場のないエネルギー。そうした10代特有の感情を歌った楽曲であり、尾崎豊はやがて

「17歳の代弁者」

のような存在として語られるようになった。

※尾崎豊の歌は、Amazon Musicで聴くことができる。

中上健次『19歳の地図』

一方、作家の中上健次には『十九歳の地図』という短編小説がある。

この作品は1973年に文芸誌『文藝』に発表された小説で、尾崎豊の『十七歳の地図』より約10年前の作品である。

主人公は、新聞配達をしながら予備校に通う19歳の青年である。鬱屈した生活の中で「すべてがでたらめであり、嘘であり、自分は生きるにあたいしない」という思いを抱えている。

社会の中で居場所を見つけられない若者の孤独と怒り。『十九歳の地図』は、そうした感情を描いた文学作品である。

この小説はのちに映画化もされている。

そしてWikipediaには、

この映画を観て尾崎豊が『十七歳の地図』を作った

という記述もあった。※現在は削除されている。

しかし、この話は事実とは異なる可能性が高い。

『十七歳の地図』というタイトルを付けたのは須藤晃

この話の背景が語られたのは、見城徹の番組『徹の部屋』である。

※『徹の部屋』はABEMAで放送された番組。
ABEMAの公式サイトはこちら

この番組に出演したのが、尾崎豊のプロデューサー須藤晃だった。

番組の中で明かされたのは次の事実である。

『十七歳の地図』というタイトルを付けたのは尾崎豊ではなく須藤晃だった。

そしてその発想の元になったのが、中上健次の『十九歳の地図』だったという。

つまり、

  • 中上健次『十九歳の地図』

  • 須藤晃が着想

  • 尾崎豊の歌に『十七歳の地図』というタイトルを付けた

という流れである。

さらに当時の尾崎豊は、それほど本を読むタイプではなかったという証言もある。

文学に強い関心を持っていたのは、むしろ須藤晃の方だった。

「セブンティーンズマップ」は後から書かれたのではないか

ここで一つの仮説が浮かぶ。

もし『十七歳の地図』というタイトルが須藤晃によって付けられたものだとすれば、元の歌詞には

「セブンティーンズマップ」

という言葉は存在していなかった可能性もあるのではないだろうか。

『十七歳の地図』というタイトルが決まり、それに合わせて

「くわえ煙草のセブンティーンズマップ」
「半分大人のセブンティーンズマップ」

といったフレーズが歌詞に書き加えられた可能性も考えられる。

もちろんこれは推測に過ぎない。

しかし、もしそうだとすれば興味深いことが見えてくる。

『十七歳の地図』という楽曲は、単に尾崎豊の内面から自然に生まれたものではなく、タイトルとイメージによって形作られた作品だった可能性があるからである。

尾崎豊という「17歳の象徴」

尾崎豊はしばしば「10代の代弁者」と呼ばれる。学校への反抗、社会への違和感、自由への憧れ。彼の歌は、多くの若者の共感を集めた。

しかし今回見てきたように、

『十七歳の地図』というタイトルは尾崎豊自身の発想ではなかった。

この事実は、尾崎豊という存在を別の角度から見るヒントになる。

尾崎豊は確かに強烈な才能を持った歌手だった。

しかし同時に、

「17歳の象徴」

という役割を与えられた存在でもあった。

ロックの世界では、音楽だけでなく、アーティストの人物像そのものが一つの物語として作られていく。

『十七歳の地図』というタイトルもまた、尾崎豊という存在を「十七歳の象徴」として提示するための装置だったのかもしれない。

まとめ

尾崎豊『十七歳の地図』と中上健次『十九歳の地図』には、直接的な物語の関係はほとんどない。

しかし、

  • 『十七歳の地図』というタイトルを付けたのはプロデューサー須藤晃

  • その発想の元にあったのが中上健次『十九歳の地図』

というつながりが存在している。

さらに、もしタイトルが先に決まり、それに合わせて歌詞が整えられたのだとすれば、

『十七歳の地図』という楽曲は

尾崎豊というイメージを形作るための装置

でもあったと言えるかもしれない。

尾崎豊は「17歳の代弁者」として語られることが多い。しかしそのイメージは、完全に自然発生したものではなく、プロデュースによって形作られた側面もあった。

『十七歳の地図』というタイトルの背後には、尾崎豊という偶像が作られていく過程を見ることができるのである。

尾崎豊は、1980年代の日本ロックの中で「若者の反抗」を象徴する存在として語られることが多い。しかし同じ時代、日本のロックには社会や時代を見つめるさまざまな表現が存在していた。例えば、社会派ロックの代表格ともいえる浜田省吾や、ストレートな言葉で若者の衝動を歌ったTHE BLUE HEARTSなども、その流れの中で語られる存在である。

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