村上春樹の作品のなかで一番好きなものは何かと聞かれれば、迷わず『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と答える。これはずっと変わらない。
ただ、二番目は何かと問われると、少しだけ言葉に詰まる。異論はあるだろうが、それでも私はいつも同じ本の名前を出している。
マイケル・ギルモア著、村上春樹訳の『心臓を貫かれて』だ。
小説ではない。だが、これほどまでに“物語”の深部に触れてくる本を、他にあまり知らない。
この本には、劇的なカタルシスはない。救いもない。ただ、ひたすらに一つの家族の時間が積み重ねられていく。暴力。沈黙。歪んだ愛情。それらが静かに、しかし確実に人間を形作っていく。
そしてある地点で、それは“事件”として外に現れる。
村上春樹訳『心臓を貫かれて』とは
この本は、死刑囚となった兄と、その家族の記録である。父は詐欺師であり、暴力的な支配者だった。母は信仰と現実のあいだで揺れ続け、家庭は静かに崩れていく。そのなかで兄は、やがて社会に対して決定的な一線を越える。
本が見つめているのは、その“結果”ではない。そこに至るまでの、長い時間の積み重ねだ。
読み終えたあと、本を閉じる。そのときに残るのは、静けさではない。重さだ。それまで一つの方向からしか見えていなかったものが、別の角度からも見えるようになってしまう。本来なら見なくてもよかったはずの側面が、同時に存在していることに気づいてしまう。
この本は、“外側”をほとんど描かない。代わりに、内側を執拗に見つめ続ける。
なぜそうなったのか。
どこで壊れたのか。
あるいは、最初から壊れていたのか。
読み進めるうちに、問いの形そのものが崩れていく。人はある日突然壊れるのではなく、日々のわずかな歪みの積み重ねのなかで、ゆっくりと変質していく。その過程を知ってしまったとき、「これは特別な人間の話だ」と切り離すことができなくなる。
この本は何かを教えてくれるわけではない。答えも与えない。ただ、見てはいけないものに、静かに光を当てる。そして一度それを見てしまうと、それは消えずに残り続ける。
重さとして。
もし「村上春樹でおすすめの本は?」と聞かれたら、私は今でもまず『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を挙げる。ただ、その次に何を薦めるかと問われたとき、少しだけ間を置いて、こう言うだろう。
『心臓を貫かれて』
この本はアメリカでも高く評価されている。ただし、それは“面白い”という意味ではない。読むのがつらいほど正直で、目をそらしたくなるのに、最後まで読ませてしまう。
そんな作品として語られている。
派手に売れるタイプではないが、読んだ人の中に長く残り続ける本。
だからこそ、静かに評価され続けているのだと思う。
もしこの感覚に少しでも触れたなら、同じく村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も読んでみてほしい。
異なる形を取りながらも、“世界の見え方が変わる”という点ではどこかで繋がっている。
そしてもうひとつ、現実の側からその“重さ”を見たいなら、警察庁長官狙撃事件をめぐる中村泰についてもあわせて読んでみるといい。
物語と現実は切り離されているようでいて、ときに同じ構造を持っている。そのことに気づいたとき、見えている世界は、もう以前と同じではいられない。




