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町井久之とは何者だったのか|愚連隊から日韓フィクサーになった戦後の怪物

町井久之とは何者 書物私論

町井久之とは何者だったのか。

その名前は、戦後の裏社会を調べていくと、何度も現れる。東声会の創設者。在日韓国人二世。児玉誉士夫の側近。力道山と近かった男。田岡一雄とも関係を持った人物。さらに晩年には、日韓ビジネスや在日社会の表側にも名を残した。

だが、町井久之という人物は、肩書きを並べるだけでは分かりにくい。

彼は、単なる暴力団の親分ではない。
単なる在日社会の有力者でもない。
単なる右翼人脈の人物でもない。

町井久之とは、敗戦後の東京、在日社会の分断、反共運動、興行、政財界、日韓関係が、一人の人生の中に流れ込んだような人物だった。

つまり彼は、戦後という時代が人間の形を取ったような存在だったのである。

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町井久之の生い立ち|東京に生まれ、朝鮮で育った少年

町井久之は、1923年、東京・西新橋に生まれた。
本名は鄭建永。読みは一般にチョン・ゴニョンとされるが、資料によってはチョン・コンヨンとも表記される。在日韓国人二世である。

ただし、彼の生い立ちは東京だけで完結していない。幼少期には朝鮮半島で育った時期があり、その後ふたたび日本へ戻ったとされる。

日本で生まれ、朝鮮で育ち、また日本へ戻る。

この移動は、町井久之という人物を考えるうえで重要である。彼は最初から一つの社会に安定して根を下ろしていたわけではない。日本社会の中心にもいない。朝鮮半島にも完全にはとどまらない。家庭や学校の中にも収まりきれない。

そうした少年が、戦前から戦後へ向かう時代の中で、自分の居場所を探していく。

だが、その居場所は表通りにはなかった。

町井が手にしたのは、腕力だった。

愚連隊としての出発|焼け跡の東京で力が言葉になった

戦後の東京は、現在の整った都市とはまったく違っていた。

焼け跡、闇市、復員兵、失業者、在日社会、米軍、警察、暴力団、興行師。秩序はまだ固まりきっておらず、街のあちこちで別々の力がぶつかっていた。

この時代の空気を、文学の側から言葉にしたものが、坂口安吾の『堕落論』だった。敗戦によって建前が焼け落ち、人間がきれいごとの衣を脱がされていく。

その荒れた地面から、町井久之のような愚連隊も現れてくる。

愚連隊とは、古い博徒や的屋のような伝統的なヤクザとは少し違う。敗戦後の混乱の中で、若者たちが腕力と度胸を武器に街へ出てきた集団である。格式よりも実力。血筋よりも恐れられる力。戦後の都市が生んだ荒いエネルギーだった。

町井久之彼にとって腕力は、単なる暴力ではなかった。
どこにも完全には属せない人間が、自分の場所を作るための言葉だった。

この点で、町井久之は戦後愚連隊の一人として読むことができる。万年東一のような人物が、戦後の混乱から生まれた愚連隊の象徴だとすれば、町井久之はその愚連隊的な力を、より巨大な組織と政治的人脈へ接続していった人物だった。

関連記事:万年東一とは何者だったのか

東声会を作った男|町井久之の暴力は組織になった

町井久之を語るうえで、東声会は避けられない。

東声会は、町井久之が率いた暴力団組織であり、戦後東京の裏社会で大きな存在感を持った。単なる街の不良集団ではない。愚連隊的な暴力が組織化され、東京の裏社会、興行、右翼人脈、在日社会へと伸びていった存在だった。

ここで町井久之をいったん整理すると、次のようになる。

  • 本名は鄭建永(チョン・ゴニョン)
  • 東京生まれの在日韓国人二世
  • 戦後東京で愚連隊として台頭した
  • 東声会を率いた
  • のちに日韓ビジネスや在日団体にも関わった

これだけでも、町井久之が単純な人物ではなかったことが分かる。

彼は、暴力団組長としてだけ見れば収まりきらない。
在日社会の有力者としてだけ見ても、説明しきれない。
実業家としてだけ見ると、出発点が見えなくなる。

町井久之という人物の本質は、それらが分かれていなかった戦後という時代の中にある。

東声会とは、町井久之が作った組織であると同時に、彼の人生そのものが組織の形になったものでもあった。焼け跡の腕力、在日社会の緊張、反共の空気、東京の興行、政財界の影。そうしたものが、東声会という名前のもとに集まっていた。

関連:東声会とは何なのか

児玉誉士夫との関係|暴力は政治の影に入っていく

町井久之の異様さは、東声会を作っただけでは終わらないところにある。

彼は、右翼の大物・児玉誉士夫の側近的存在としても語られる。児玉誉士夫は、戦後日本の右翼、反共、政財界、裏社会をまたいだ黒幕的な人物だった。

その周辺に町井久之がいたことは、東声会の暴力が単なる街の抗争にとどまらなかったことを示している。

戦後の日本では、反共という言葉が大きな力を持っていた。国内政治だけでなく、在日社会の内部にも、朝連・総連系と民団・反共系の対立があった。そこでは思想だけでなく、実際の腕力も意味を持った。

町井久之の力は、街の喧嘩の力であると同時に、政治的な実働力でもあった。

ここが、現代から見ると分かりにくい。

いまなら、暴力団、政治団体、民族団体、企業、興行は、少なくとも表向きには分かれている。しかし戦後直後から高度成長期にかけては、それらの境界がまだ曖昧だった。

町井久之は、その曖昧な境界に立っていた。

力道山、田岡一雄、興行と裏社会

町井久之の周辺には、戦後日本の濃い人物たちがいる。

力道山はその一人である。戦後日本のプロレスを国民的娯楽に押し上げた存在であり、在日朝鮮人としての出自を抱えながら、日本のヒーローになった人物だった。町井久之は、この力道山とも近かった。

また、山口組三代目組長・田岡一雄とも関係を結んだ人物として語られる。田岡一雄は、山口組を全国組織へ押し上げた人物である。東京の東声会と、関西から全国へ拡大していく山口組。その線が交わるところにも、町井久之の名前が出てくる。

ここで見えてくるのは、戦後の興行と裏社会の近さである。

プロレス、芸能、興行、暴力団、右翼、在日社会。現在では切り離して考えられがちなものが、当時はもっと近い場所にあった。町井久之は、その交差点にいた。

彼は、ただ腕力だけで生きた男ではない。

腕力を入口にして、興行へ、右翼へ、政財界へ、日韓関係へと入り込んでいった男だった。

日韓フィクサーとしての顔

町井久之の後半生で重要なのは、日韓をまたいだフィクサーとしての顔である。

彼は東亜相互企業社長、釜関フェリー会長などの肩書きを持ち、日韓ビジネスにも関わった。また、民団中央本部顧問、在日本大韓体育会中央本部会長といった在日社会の表側の肩書きも持っていた。

ここが、町井久之という人物のもっとも複雑な部分である。

愚連隊の親分だった男が、なぜ日韓ビジネスに関わるのか。
暴力団の首領だった男が、なぜ在日団体の肩書きを持つのか。

それは、戦後という時代が、今ほどきれいに分かれていなかったからである。

日韓関係は、表の外交だけで動いていたわけではない。国交正常化、反共、在日社会、経済協力、企業、興行、裏社会。そうした複雑な線の中で、正式な肩書きだけでは説明できない人間が必要とされる場面があった。

町井久之は、その隙間にいた。

フィクサーとは、表の役職だけでは測れない場所にいる人間である。政治、実業、右翼、興行、人脈。その間を動き、表ではつながりにくいものを裏側でつなぐ。

この点では、朝堂院大覚のような人物とも比較して読むことができる。朝堂院大覚もまた、政治、実業、右翼、興行といった複数の世界をまたいで語られる人物である。町井久之を理解するには、こうした「表と裏の境界に立つ人物」という視点が必要になる。

関連記事:朝堂院大覚とは何者なのか

晩年と死|戦後を背負った男の終わり

町井久之はその後、実業家としての顔を強めていった。しかし、暴力を背景に戦後を駆け上がった男が、完全に表の世界の人物になれたわけではない。

戦後直後には、腕力が資本になった。
反共の時代には、暴力が政治的な意味を持った。
興行の世界では、裏社会の力が必要とされた。
日韓関係の隙間では、表に出ない調整役が必要とされた。

だが、時代が進むにつれて、社会は制度化されていく。暴力の居場所は狭くなり、裏の人脈は表から隠される。かつて必要とされた怪物たちは、少しずつ時代の奥へ押し込められていった。

町井久之は、2002年9月14日に亡くなった。
享年79歳だった。

焼け跡の東京から出てきた愚連隊の男が、平成の時代まで生きた。

その長さが、町井久之という人物をさらに不思議にしている。彼は遠い戦後の人物でありながら、2000年代まで生きていた。焼け跡、愚連隊、東声会、児玉誉士夫、力道山、田岡一雄、民団、釜関フェリー。そのすべてを背負った人物が、平成の日本にまだ存在していたのである。

まとめ|町井久之とは、戦後そのものだった

町井久之とは何者だったのか。

彼は、在日韓国人二世として東京に生まれ、朝鮮で育ち、再び日本へ戻った少年だった。どこにも完全には属せない少年は、戦後東京で腕力を武器に愚連隊となった。

やがて東声会を作り、東京の裏社会に影響力を持った。
児玉誉士夫と結び、右翼・反共の人脈に入った。
力道山ら興行の世界にも近づいた。
田岡一雄と関係を持ち、山口組とも接続した。
さらに日韓ビジネスと在日社会の表側にも名を残した。

普通なら、これほど矛盾した肩書きは一人の人間に収まらない。

だが、町井久之には収まってしまった。

なぜなら、彼自身が矛盾した時代から生まれた人物だったからである。

敗戦。植民地の記憶。在日社会。反共。愚連隊。暴力団。右翼。興行。政財界。日韓関係。

それらがまだ泥のように混ざっていた時代。
その泥の中から立ち上がった人物が、町井久之だった。

町井久之とは、単なる東声会の首領ではない。

戦後という時代が、人間の形を取って歩いていた。
その一つの姿が、町井久之だった。

町井久之をより深く追うなら、城内康伸の著書『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史(Amazon)』が入口になる。

彼らは孤立した存在ではなく、ひとつの構造の中で生まれている。
個別の人生を並べることで、その輪郭が見えてくる。

その断面はここに集めている。

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