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トクリュウの本質はヒトを駒にする構造|若者には夢を、老人には不安を売る社会

トクリュウ 若者 老人 16歳 書物私論

栃木県上三川町の民家で起きた強盗殺人事件で、16歳の少年4人が実行役として逮捕された。報道では、匿名・流動型犯罪グループ、いわゆる「トクリュウ」の関与も疑われている。

この事件を受けて、当然のように少年法厳罰化の声が上がっている。

16歳だからといって許されるはずがない。
人を殺しておいて、更生などと言っていられるのか。
無期懲役でも軽いのではないか。

そうした怒りは、理解できる。

被害者がいる。
遺族がいる。
奪われた命は戻らない。

その重みを前にして、加害少年の更生可能性だけを語ることは、ひどく冷たく聞こえるかもしれない。

だが、それでも考えなければならないことがある。

この事件は、単に「16歳の少年たちが凶悪化した事件」なのだろうか。

それとも、現代の犯罪システムが、まだ社会を知らない若者を実行役として使い捨てた事件なのだろうか。

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少年は凶悪化したのか、それとも駒にされたのか

今回のようなトクリュウ型の事件で重要なのは、実行役と指示役が分かれている点である。

昔の不良や暴力団、愚連隊には、良くも悪くも顔があった。名前があった。地元があった。看板があった。恐怖で支配し、名を売り、仲間内の序列の中で暴力が使われた。

だが、トクリュウは違う。

顔がない。
名前がない。
地元がない。
あるのは、スマホの画面と、金の匂いと、使い捨てられる人間だけである。

16歳の少年たちが、事件の全体像をどこまで理解していたのかは分からない。もちろん、強盗殺人の実行役になった責任は消えない。知らなかったでは済まされない。

しかし、彼らが犯罪の設計者だったのかといえば、おそらく違う。

そこには、誘導した人間がいる。
指示した人間がいる。
現場に行かせた人間がいる。
危険だけを少年に背負わせ、自分は離れた場所にいた人間がいる。

だとすれば、この事件を少年法厳罰化だけで語るのは、あまりに狭い。

本当に見るべきなのは、少年が悪いかどうかだけではない。

なぜ16歳が、強盗殺人の現場に立たされるのか。

ここである。

トクリュウの歴史的な流れについては、関東連合やナチュラルとの違いを扱った別記事で整理している。本稿では、トクリュウを「現代社会が人間をどう動かすか」という視点から見ていく。

トクリュウが狙うのは、世間を知らない人間である

トクリュウに限らず、騙す側が狙う人間には共通点がある。

少年と老人である。

一見すると、両者は正反対に見える。

少年は若い。
老人は老いている。
少年には未来がある。
老人には過去がある。

だが、騙す側から見ると、両者には共通点がある。

どちらも、社会の仕組みを読み切れない。

少年は、まだ社会を知らない。
老人は、今の社会の変化を追い切れない。

だから狙われる。

少年には、こう言えばいい。

簡単に稼げる。
一回だけでいい。
みんなやっている。
捕まらない。
人生を変えられる。

老人には、こう言えばいい。

このままだと危ない。
家族に迷惑がかかる。
今すぐ手続きが必要です。
健康のためです。
安心のためです。

言葉は違う。
だが構造は同じである。

判断力の隙間に、言葉を差し込む。

これが現代の騙しの基本形である。

若者には夢を売り、老人には不安を売る

この構造は、犯罪の世界だけにあるものではない。

もっと広く見れば、表の社会でも似たことは行われている。

若者を動かすとき、社会はブームを作る。

これを知らないと遅れている。
これを持っていないと仲間に入れない。
この美容、この服、この音楽、このアプリ、この投資、この副業。
今しかない。
みんなもう始めている。

若者は、未来への焦りで動く。

まだ何者でもない。
何者かになりたい。
今のままでは終わりたくない。
周りに置いていかれたくない。

そこに、流行が入り込む。
広告が入り込む。
メディアが入り込む。

一方、老人を動かすとき、社会は不安を作る。

病気になったらどうするのか。
介護が必要になったらどうするのか。
認知症になったらどうするのか。
家族に迷惑をかけたくないでしょう。
今のうちに備えましょう。

老人は、失うことへの不安で動く。

健康を失う。
お金を失う。
家族との関係を失う。
自分で判断できる力を失う。

そこに、病院、介護施設、保険、健康食品、終活ビジネスが入り込む。

もちろん、医療や介護そのものが悪いわけではない。
必要なサービスである。社会にとって不可欠な仕組みでもある。

だが、その周辺には常に、人の不安を商品化する力が働く。

若者には未来を売る。
老人には安心を売る。

そして、どちらも金になる。

トクリュウは社会の外側にいる怪物ではない

ここで見えてくるのは、トクリュウが社会の外側に突然現れた怪物ではないということである。

むしろトクリュウは、社会が日常的に使っている「人を動かす技術」が、犯罪の側に流れ込んだ姿ではないか。

表の社会では、それをマーケティングと呼ぶ。
広告と呼ぶ。
PRと呼ぶ。
啓発と呼ぶ。
キャンペーンと呼ぶ。
ライフプランと呼ぶ。

裏の社会では、それが闇バイトになる。
詐欺になる。
受け子になる。
強盗になる。
トクリュウになる。

もちろん、合法な商売と犯罪を同列に並べることはできない。そこには明確な違いがある。

だが、人間を動かす型は似ている。

まず、不安や焦りを作る。
次に、考える時間を奪う。
そして、選択肢を狭める。
最後に、本人が自分で選んだように思わせる。

少年は「自分で応募した」と言われる。
老人は「自分で契約した」と言われる。

しかし、その前に、判断力を壊す手順がある。

この手順を見ないまま、すべてを自己責任で片づけると、社会はまた同じ場所で人間を失う。

厳罰化だけでは、指示役は痛まない

少年法厳罰化の声が出るのは当然である。

とくに強盗殺人のような重大事件では、被害者感情を無視することはできない。16歳だから軽く済ませるべきだ、などという話ではない。

だが、厳罰化だけで問題は解決するのか。

ここには疑問が残る。

なぜなら、トクリュウ型犯罪において、少年は末端の駒である可能性が高いからである。

末端を重く罰する。
世論は少し納得する。
だが、指示役は別の若者を探す。
また別の16歳が、スマホの画面から呼び出される。

これでは、犯罪の本体に届かない。

本当に必要なのは、実行役の責任を問うことと同時に、少年を現場に送り込む仕組みを潰すことだ。

募集アカウント。
連絡役。
指示役。
金の流れ。
身分証や個人情報で逃げられなくする脅し。
そして、若者の焦りにつけ込む言葉。

そこまで見なければならない。

少年を重く罰するだけなら簡単である。
だが、それだけでは犯罪の歯車は止まらない。

現代社会は、人を動かすことに慣れすぎている

現代社会は、人を動かすことに慣れすぎている。

若者を動かす。
老人を動かす。
消費者を動かす。
視聴者を動かす。
患者を動かす。
利用者を動かす。
有権者を動かす。

そのための言葉がある。
映像がある。
広告がある。
アルゴリズムがある。

人間は、自分で選んでいるようで、かなりの部分を空気に選ばされている。

トクリュウは、そのもっとも黒い末端にある。

上三川町の事件は、少年法の問題であると同時に、現代社会の問題でもある。

16歳の少年たちがなぜ現場にいたのか。
誰が彼らをそこに向かわせたのか。
なぜ彼らは断れなかったのか。
なぜ、そんな言葉に乗ってしまったのか。

そこを見なければ、この事件はただの凶悪少年事件として消費されて終わる。

だが、本当に怖いのは少年ではない。

少年を動かす言葉である。
老人を動かす不安である。
人間を駒に変える社会の仕組みである。

トクリュウとは、地下にいる特別な悪ではない。

私たちの社会が毎日のように使っている「人を動かす技術」が、倫理を失い、犯罪の側へ流れ込んだ姿なのだと思う。

トクリュウや闇バイトの実態をもう少し具体的に知りたい人には、櫻井裕一『匿名犯罪者 闇バイト、トクリュウ、サイバー攻撃』が参考になる。
本記事では、少年や老人が「駒」として使われる社会構造を見てきたが、この本では、そうした匿名化した犯罪がどのように現代社会へ入り込んでいるのかを追うことができる。

Amazon→櫻井裕一『匿名犯罪者 闇バイト、トクリュウ、サイバー攻撃』

また、若者にブームを売り、老人に不安を売る社会の仕組みを考えるなら、エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』も読んでおきたい。
トクリュウは地下に突然現れた怪物ではなく、人を動かす技術が倫理を失った姿ではないか。本書を読むと、広告、宣伝、世論形成、そして犯罪的な誘導が、まったく別物ではなく地続きに見えてくる。

Amazon→エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』

トクリュウを半グレ史の流れから見ると、関東連合やナチュラルとは違う匿名性が見えてくる。詳しくは、トクリュウと関東連合・ナチュラルの違いを整理した記事で触れている。

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