前ブログが閉鎖になった時、かのブンガクマンは文学星へと帰っていかれた。
欠片は残ったが、本体が消えたのだ。
ブンガクマンから考える文学星・日常・意味・無意味とインターネット
ブンガクマンが何をしたのか?
そのことについては、ネオぶんがく宣言: 全ての文学青年へに記されている。
寂しくはなかった。
だが、何も手につかない日々が続いた。
文学星はあの世ではない
この間に、父母が亡くなった。
人間の肉体は滅びても、魂は宇宙のどこかの星へ行く。
だが、文学星ではないだろう。
たぶん、この私でさえ、死んでしまえば文学星へは行かない。
上記の事から、文学星はあの世ではない。
この世の星だ。
地球と行き来できる星で、同じ時空の中にある。
それが、文学星だ。
ブンガクマンのいない日常の出来事
今日は、夕方5時頃、起床。
一日中、ほぼソファで横になりながら、TVとYouTubeを観ていた。
そうそう以前、大阪文学フリマで売り子をしてくれた女性がYouTube動画でおススメに出てきた。全くの偶然で、はじめは気づかずに観ていたが不意に思い出した。あの頃は少女だったが、今は大人の女性になっていた。チャンネル登録者も2万人ほどおり、40万回再生の動画もあった。表現者として大成功だろう。
やはり私の見る目に狂いはなかった。
ブンガクマンの今後
今後のことは何も考えていない。
現在のところ、ほぼ廃人である。
何もやる気がしない。
とりあえずコロナが収まった後は、海外旅行へでも行こうと思っている。
帰国後、また今後の事など考えたい。
とはいっても特に行きたい国も場所もない。
ただ日本人がいないどこかへ行きたい。
日本人にはどうにも馴染めない。
ブンガクマンのいない無駄口
このブログは、ほぼ無駄口だ。無情報サイトというだけではなく、不必要サイトでもある。しかし、私以外の誰にも必要ではないのだが、私だけには必要なサイトなのである。
誰に文句を言われることもないだろう。私は、大金を払っている。毎月、高い金を払っている。レンタルサーバーを借りて、1年更新の独自ドメインも取得しているのだ。つまり、お金を払ってまで、私は私の居場所を確保したのだ。言ってしまえば、インターネットの家賃だ。
「無料の簡易住宅では追い出されることもあるからね」
インターネットには人しかいない理由
肉体社会には、動物や植物がいる。海や山がある。天変地異などもある。人間以外がほとんどで、人間が占める割合は少ない。
だがネットの世界は違う。人間が作ったものだから、人間しかいない。インターネットは人間だけの空間なのだ。
だから、花鳥風月の粋がないのだ。
まとめ
今日は、もう終わりだ。
まったく意味はないが、かといって無意味ではない。