在特会とは、「在日特権を許さない市民の会」の略称である。
2000年代後半から2010年代前半にかけて、在日コリアン、つまり在日韓国・朝鮮人に対する「特権」が存在すると主張し、街頭デモや街宣活動を行った団体だった。
現在ではヘイトスピーチ問題の象徴として語られることが多いが、当時の在特会は単なる街宣右翼ではなかった。
ネット右翼、いわゆるネトウヨ的な感情が、路上へ出ていった運動だったのである。
在特会とは何か
在特会は、2007年に結成されたとされる。
中心人物として知られるのは桜井誠である。ただし、この記事では桜井個人の来歴よりも、在特会という運動そのものを見る。
在特会の特徴は、従来の右翼団体とは違っていた点にある。赤尾敏に象徴される戦後右翼が、街頭演説や反共の言葉によって存在感を示したとすれば、在特会はインターネット上の言葉や感情と深く結びついていた。街宣車で軍歌を流す古い右翼ではなく、掲示板、ニコニコ動画、YouTubeの時代に現れた右翼だった。
そこにあったのは、嫌韓感情、マスメディア不信、在日特権という言葉、そして「日本人が損をしている」という被害者意識だった。
野村秋介や鈴木邦男らに代表される新右翼が、戦後日本、天皇、国家、反米、戦後民主主義への違和感を思想として掘り下げたのに対し、在特会はもっと直接的だった。
在特会は「日本とは何か」と問うよりも、「誰が日本を壊しているのか」を名指しした。
その意味で、在特会は思想としての右翼というより、感情としての右翼だった。
「行動する保守」と初期の在特会
初期の在特会は、単独で動いていたわけではない。
主権回復を目指す会や、関西ではチーム関西など、いわゆる「行動する保守」と呼ばれた周辺団体やグループと重なりながら活動していた。
この「行動する保守」という言葉は重要である。
ネット上で語るだけではなく、実際に路上へ出る。
抗議する。
拡声器を持つ。
現場を撮影する。
その動画をネットに上げる。
在特会は、こうした運動の中で最も名前が知られる存在になっていった。
つまり在特会は、突然単独で現れた団体ではなく、2000年代後半のネット右派、嫌韓言説、行動する保守の流れの中から前面化した団体だった。
ニコニコ動画とYouTubeの時代
在特会は、現在のYouTube文化から生まれた団体ではない。
むしろ、ブログ、掲示板、ニコニコ動画、ニコ生、YouTubeが混在していた2000年代後半のネット空間から出てきた運動だった。
当時のネット動画は、今のように整ったエンタメ空間ではなかった。政治動画、街宣動画、抗議活動、揉め事の映像、ニコニコ動画的なコメント文化、嫌韓・反中系の動画が混在していた。
その中で、在特会の動画は目立っていた。
パチンコ屋の前に立つ。
拡声器で怒鳴る。
警察が来る。
通行人が振り返る。
カウンターと衝突する。
その映像がネットに上がる。
在特会の運動は、動画向きだった。
静かな演説ではなく、怒号。
長い論文ではなく、敵の名指し。
複雑な思想ではなく、わかりやすい被害者意識。
議論ではなく、現場の衝突。
それは、初期ネット動画の荒さと非常に相性がよかった。
しかも当時は、現在のように動画投稿そのものが職業化された時代ではない。在特会の初期動画は、再生数で稼ぐための炎上ビジネスというより、自分たちの怒りを世の中に見せるための映像だった。
つまり在特会は、収益化された炎上政治ではなく、収益化される前の怒りだった。
なぜ在特会は支持を集めたのか
ただのヘイトスピーチだけでは、人は長くついてこない。
在特会が一定の支持や注目を集めたのは、その背後に「誰も言えないことを彼らが言っている」という物語があったからだろう。
自分たちは黙らされてきた。
本当のことを言うと差別扱いされる。
マスコミは隠している。
日本人だけが我慢させられている。
そうした感覚が、在特会の言葉に吸い寄せられていった。
もちろん、その主張はしばしば在日コリアンや外国人への敵意、排除、差別へ向かった。そこは批判されるべきである。
しかし、支持者の側から見れば、それは単なる攻撃ではなく、「隠されてきた不公平を告発している」という感覚だったのだと思う。
在特会は、差別を叫んだだけではない。
被害者意識を、政治的な物語に変えた。
そこに、この運動が人を引きつけた理由がある。
2009年以降、社会問題化する在特会
在特会が社会的に大きく知られるようになったのは、2009年から2010年にかけての京都朝鮮学校への街宣問題以降である。
この問題は、在特会だけでなく「行動する保守」系の周辺グループも含む活動として社会問題化した。
その後、2012年から2013年頃には、新大久保などで反韓デモやヘイトスピーチが大きく注目されるようになった。
この時期、在特会はネット右翼の路上化として、最も目立つ存在になっていた。
それまでネット上にあった嫌韓感情や在日特権という言葉が、実際の街頭で叫ばれ、動画として拡散された。
在特会は、ネットの中だけの存在ではなかった。
しかし、路上だけの存在でもなかった。
路上とネットを往復したことが、在特会の時代性だった。
2014年、橋下徹との公開討論が示した限界
在特会の衰退を象徴する出来事の一つが、2014年10月20日に行われた橋下徹大阪市長と桜井誠の公開意見交換だった。
それまで在特会の動画は、路上やネットの中では強く見えた。怒鳴ること、挑発すること、相手を圧倒すること、警察が割って入ること。それらはYouTubeやニコニコ動画の中では迫力として映った。
しかし、橋下徹というメジャーな政治家の前に出たとき、その迫力は粗さに変わった。
議論は成立せず、怒声の応酬になった。予定されていた意見交換は短時間で終わり、そこに残ったのは在特会の強さではなく、言葉の限界だった。
在特会は、路上では強く見えた。
だが、政治の中心に近い公開空間では、その運動の粗さをさらけ出した。
この出来事は、在特会が「ネット動画の主役」から「社会的に問題視される対象」へ移っていく象徴だった。
当時の空気を確認したい場合は、実際の公開意見交換の映像を見るとわかりやすい。怒声の応酬になり、議論が成立しないまま短時間で終わったことが、この出来事の象徴性を物語っている。
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ヘイトスピーチ問題と在特会の衰退
2010年代半ばになると、在特会の活動はヘイトスピーチ問題として強く批判されるようになっていった。
特定の民族や国籍の人々に対する差別的言動、地域社会から排除するような主張は、社会問題として扱われた。
2016年には、いわゆるヘイトスピーチ解消法が施行される。
この法律は在特会だけを対象にしたものではない。しかし、在特会的な街頭活動やネット上の排外的言説が社会問題化した流れの中で生まれたものだった。
この頃から、在特会的な露骨な言葉は、表の政治空間では使いにくくなっていく。
桜井誠はその後、日本第一党を立ち上げ、選挙にも出た。
しかし、日本第一党が大きな政治勢力として成長したわけではない。
在特会は、時代の前面に出た。
しかし、政治の中心には入れなかった。
団体としては退潮した。
だが、その問題設定は消えなかった。
在特会が残したもの
在特会は、在日問題という語りにくいテーマを乱暴に表面化させた。
在日コリアンをめぐる問題は、日本社会にとって長く扱いにくいものだった。歴史、差別、国籍、通名、学校、地域社会、結婚、血筋。そこには、右から語っても左から語っても傷が開くような複雑さがあった。
在特会は、それを丁寧に解きほぐしたわけではない。
むしろ、怒号と敵の名指しによって引きずり出した。
だからこそ、在特会はタブーを表面化させた存在であると同時に、そのタブーをよりこじらせた存在でもあった。
その後、社会の関心は在日コリアンから、外国人労働者、技能実習、移民、クルド人、社会保険、治安、外国人の土地取得といった新しい外国人問題へ移っていった。
しかし、それは在日問題が解決されたということではない。
ただ、別の外国人問題が前に出てきただけである。
現在の右派政治への影響
在特会そのものは、現在の政治の中心にはいない。
しかし、在特会が可視化した感情は、より穏当な言葉に変換されながら、現在の右派政治や保守言論の中に残っている。
「外国人が優遇されている」という怒りは、「制度の適正化」という言葉になる。
「在日特権」という言葉は、「税や社会保険料の公平性」という言葉になる。
「外国人を排除せよ」という露骨な叫びは、「不法滞在対策」「移民政策の見直し」「外国人土地取得の規制」という政策語になる。
在特会の言葉は、そのまま政治の中心に入ったわけではない。
しかし、在特会が露出させた「日本人が損をしている」という感情は、現在の右派政治にとって使いやすい材料になった。
在特会は、ネット右翼の路上化だった。
その後の右派政治は、その怒りを選挙向きの言葉へ翻訳していった。
ここに、在特会の敗北と残存がある。
在特会とは何だったのか
在特会とは、ネット時代に現れた排外的民族運動だった。
だが、それだけでは足りない。
在特会とは、2000年代後半から2010年代前半の日本社会が、在日問題という古いタブーを処理できないまま、ネットと路上で爆発させた現象だった。
それは差別だった。
それは怒りだった。
それは動画だった。
それは、収益化される前の炎上政治だった。
それは、誰も言えないことを言っているという物語だった。
そしてそれは、見ないふりをされていた問題を乱暴に可視化する力でもあった。
在特会は、終わった団体ではある。
だが、終わった問題ではない。
在日問題はどうなったのか。
日本社会は、在日コリアンをどう受け止めたのか。
差別を否定したあとに、歴史と国籍と血の問題をどう語るのか。
そして、在特会が可視化した「日本人が損をしている」という感情は、なぜ今も別の政治言葉に姿を変えて残っているのか。
在特会とは何だったのか。
それは、ネット右翼が路上に出た時代の名前であり、いまも日本社会の奥に残る問いである。
在特会についてさらに詳しく知るなら、安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』が参考になる。
在特会の街頭活動、ネットとの結びつき、そこに集まった人々の姿を追ったルポであり、2010年前後の日本社会に何が起きていたのかを知るうえでも重要な一冊だ。
在特会が問題にした「在日」や「韓国」というテーマは、ネット上の言葉だけで理解できるものではない。戦後日本の中で、在日コリアン、韓国、暴力団、興行、政治、右翼は複雑に絡み合ってきた。
町井久之は、在日コリアンとして戦後日本の裏社会に大きな影響を持ち、東声会、力道山、日韓関係とも深く関わった人物である。


