走れば走るほど死に近づく/子どもは走るが大人は歩く理由

時間旅行 diary

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毎日の日課として公園を歩いている。

公園の池の周りをぐるぐる回る。

そうしながらとりともない思考をまとめるのが習慣である。

子どもは走るが大人は歩く

よくあることだが、私が歩いている横を子どもたちが走り抜けていく。

かけっこだ。

それを見て私もふと「走ろうかな」と思う。

だが一瞬の気の迷いである。

やはり「歩こう」と決める。

時間の先を見にいく子ども

子ども時代は、よく走っていた。

だが、最近は歩いてばかりだ。

子どもが走る理由は、年を取りたいからだろう。

時間の先を見てみたいからだ。

子どもが走る理由は、少年が煙草を吸ったり酒を飲むことと同じ意味だ。

一刻も早く大人になりたいからだ。

大人は時の先は知っている

私はぐるぐるぐるぐる公園を何周もする。

同じところをぐるぐる回っているだけだ。

そうして考えがまとまれば、家に帰る。

これより先の時間には行きたくもない。

走れば走るほど死に近づくことを知っている。

まとめ

子どもは走り、大人は歩く。

身体的な問題ばかりではなく、時間にたいする観念が影響しているのだろう。

走れば走るほど死に近づく。

 

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