細木数子さんを知っていますか?
六星占術で有名な占い師で、2021年11月8日に83歳の生涯を終えました。
今更ながら細木数子 魔女の履歴書 (講談社+α文庫)を読んでみました。
読了後の感想を一言でいえば、細木数子さんは愚連隊の女王という印象です。
今回は、そんな細木数子・魔女の履歴書を紹介します。
『魔女の履歴書』ポン引きから日本一の占い師になった細木数子の生涯
溝口敦『細木数子・魔女の履歴書』の成り立ち
講談社から依頼を受けた溝口敦氏が細木数子さんの連載記事を週刊現代に発表していきます。
その記事を1冊の本にまとめたのが、細木数子 魔女の履歴書 (講談社+α文庫)です。
細木数子の人生とは
細木数子さんは昭和13年生まれで、戦中戦後の混乱期を身一つで成りあがった方です。
晩年の細木数子さんは京都で過ごしていましたが、渋谷区百軒店育ちの細木数子さんの人生の前半はほとんど都心で生活しています。
母親がやっていた店のポン引きから、銀座のクラブの雇われママ、そしてクラブ経営、その後占い師へと徐々に自らのステータスを上げていったのです。
ヤクザとの関係
渋谷ということもあり、細木数子さんの姉は安藤昇さんの安藤組組員と結婚しています。
細木数子さん自身の交際遍歴としては稲川会の幹部、小金井一家の堀尾さんがいます。
また細木数子さんが経営していたクラブには山口組山健組の山本健一さんなども客として来ていました。
ちなみに堀尾さんとは籍こそ入れていませんが生涯交際を続けていますし、周囲の方にも堀尾の妻として扱われていたようです。
病で倒れた堀尾さんは最後、細木数子さんの京都の家で静養しています。
小金井一家の墓と細木一家の墓は隣同士で建てているほどです。
細木数子は戦後愚連隊の女王
細木数子さんアンチの方は、どちらかというとヤクザの女という立場を利用して細木さんが成りあがっていったようなイメージがあると思います。
しかし、読後の印象は全くの逆でした。
逆に細木数子さんの力で、堀尾さんは小金井一家のトップにまで上り詰めた印象です。
細木数子さんは電話一本で広域暴力団の最高幹部に依頼し、溝口敦さんに圧力をかけ週刊現代での連載を止めさせようとします。
それほど細木数子さんの力は裏社会で絶大だったということを物語っています。
まとめ
今回は、細木数子・魔女の履歴書を紹介しました。
細木数子さんの生き方については賛否両論あるでしょうが、物語としては映画化してほしいほどです。同じ愚連隊ということもあり、横浜愚連隊物語と同じくらい痛快です。
戦後の安定期に入りほとんどの愚連隊は力を失いましたが、細木数子さんは時代にあわせながら力を増していった愚連隊の女王といった印象です。溝口敦さんの細木数子 魔女の履歴書 (講談社+α文庫)の中には、この他にも六星占術の衝撃の成り立ち、島倉千代子さんとの関係、細木数子さんの関係者へのインタビューなどが掲載されています。難しい本ではなく1日で読めるほど面白い内容です。
ちなみにタイトルの元になったのは、細木数子さん自身が書いた女の履歴書―愛・富・美への飛翔です。