深沢七郎に『風流夢譚』という短編小説がある。
『楢山節考』の作家として知られる深沢七郎が、1960年に『中央公論』へ発表した作品である。夢の中で天皇一家が登場し、革命と祝祭と暴力が入り混じる異様な世界が描かれる。
この小説は、ただ物議をかもしただけでは終わらなかった。
翌1961年、中央公論社社長・嶋中鵬二の自宅が右翼少年に襲撃され、家政婦が殺害され、社長夫人が重傷を負う。いわゆる嶋中事件である。
一篇の小説が、戦後日本の奥に残っていた天皇への感情をあぶり出した。
制度としての天皇は、すでに「神」ではなくなっていた。しかし、人々の感情の中では、まだ触れてはならない存在だった。
『風流夢譚』とは何だったのか。
それは天皇を夢のなかで語った小説であると同時に、戦後日本が本当に「戦後」になっていたのかを問うた、危険な夢でもあった。
深沢七郎は文壇の異端児だった
『風流夢譚』を書いたとき、深沢七郎は無名の新人ではなかった。
1956年、深沢は『楢山節考』で第1回中央公論新人賞を受賞し、作家生活に入った。『楢山節考』は、老人を山へ捨てる姥捨ての伝承をもとに、人間の老い、死、共同体の掟を描いた作品である。
この作品によって、深沢七郎は一気に文壇に現れた。
ただし、深沢は文壇の中で順当に育った作家ではない。もともとはギター奏者として活動し、日劇ミュージックホールに出演していたこともある。いわば文学の外側からやってきた人物だった。
だからこそ、深沢七郎の登場には異物感があった。
深沢は、政治思想を語る作家ではない。文壇サロンの中心に座る作家でもない。土俗、老い、死、食、性、共同体、滑稽さ。そうしたものを、ごつごつした手触りのまま文学の中に持ち込んだ作家だった。
『楢山節考』で注目され、『東北の神武たち』『笛吹川』なども発表した深沢は、『風流夢譚』の時点で、すでに文壇に知られた作家だった。
だが、その立ち位置は主流ではない。
深沢七郎は、文壇に迎えられた異端児だった。
関連書籍:楢山節考
『風流夢譚』とはどんな小説だったのか
『風流夢譚』は、語り手が見る夢の形式をとった短編小説である。
夢の中で社会秩序が転倒し、天皇一家が実名で登場する。そこでは、天皇や皇族は神聖な存在として扱われない。民衆の暴力と笑いの中に引きずり出される。
この作品を、単なる政治小説として読むと少しずれる。
深沢七郎は、天皇制批判の論文を書いたわけではない。政治的な宣言文を書いたわけでもない。『風流夢譚』は、あくまで小説である。しかも夢の形式をとった、奇妙で不穏な小説である。
夢だからこそ、秩序は崩れる。
夢だからこそ、笑いと残酷さが同居する。
夢だからこそ、ふだんなら口にできないものが出てくる。
そこに『風流夢譚』の危うさがあった。
天皇を理屈で批判したのではない。天皇を夢の中に出したのである。
制度としての天皇ではなく、感情の奥にある天皇。触れてはならないものとして残っていた天皇。その存在を、深沢は夢の中で乱暴に扱った。
それは、論文よりも危険だった。
関連書籍:風流夢譚
なぜ『風流夢譚』は問題になったのか
戦後、天皇は「現人神」ではなくなった。
日本国憲法のもとで、天皇は日本国および日本国民統合の象徴とされた。戦前のような神聖不可侵の存在ではなくなった。
しかし、制度が変わったからといって、人々の感情がすぐに変わるわけではない。
天皇は、戦後もなお特別な存在だった。少なくとも、多くの人々にとって、天皇を笑いものにすること、天皇を暴力的な夢の中に置くことは、許しがたい行為だった。
ここに『風流夢譚』の問題がある。
深沢七郎は、天皇を批判したのではない。天皇を夢の中で、民衆の暴力と祝祭の場に置いた。
天皇を論じるのではなく、天皇を場に引きずり出した。
批判なら反論できる。
論文なら論争できる。
だが、夢の中で天皇が笑いと暴力にさらされる光景は、読む者の理性より先に感情へ届く。
『風流夢譚』は、天皇制をめぐる理屈ではなく、天皇に触れられたときに湧き上がる感情を露出させたのである。
深沢七郎は小説の中で天皇を夢に出したが、奥崎謙三は現実の天皇に向かってパチンコ玉を撃った。方法はまったく違うが、どちらも戦後日本において「天皇に触れる」とは何を意味するのかを突きつけている。
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嶋中事件とは何だったのか
『風流夢譚』の掲載後、批判と抗議は激しくなった。
そして1961年2月1日、事件は起きる。
右翼少年が中央公論社社長・嶋中鵬二の自宅を襲撃した。嶋中本人は不在だったが、社長夫人が重傷を負い、家政婦の丸山かねが殺害された。
これが嶋中事件である。
小説を書いた深沢七郎が襲われたわけではない。掲載した雑誌の社長宅が襲われた。しかも、殺されたのは作品の掲載判断とは無関係の家政婦だった。
ここに、この事件の救いのなさがある。
『風流夢譚』をめぐる怒りは、文学批判では終わらなかった。出版社への抗議でも終わらなかった。現実の刃物となって、無関係の人間の命を奪った。
小説が人を殺したのではない。
しかし、小説を口実に、人は殺された。
この違いを曖昧にしてはならない。
深沢七郎が殺人を命じたわけではない。『中央公論』が暴力を望んだわけでもない。だが、『風流夢譚』という小説は、戦後日本の奥に残っていた殺意を呼び出してしまった。
作品の中の夢が、現実の血につながったのである。
赤尾敏と大日本愛国党の時代
嶋中事件で重要なのは、犯人の少年個人だけではない。
背景には、当時の右翼運動、反共運動、そして天皇をめぐる強い感情があった。
戦後右翼を語るうえで、赤尾敏と大日本愛国党の存在は避けて通れない。
赤尾敏は、戦後の街頭で反共と天皇尊崇を叫び続けた人物である。数寄屋橋での辻説法でも知られ、大日本愛国党を率いた。
嶋中事件の犯人は、この大日本愛国党との関係が取り沙汰された。事件後、赤尾敏も捜査の対象となった。
もちろん、事件の責任を赤尾敏ひとりに単純化することはできない。だが、嶋中事件が起きた時代の空気を考えるとき、大日本愛国党の存在は無視できない。
『風流夢譚』をめぐる怒りは、単なる読者の抗議ではなかった。
そこには、戦後右翼の空気があった。天皇を傷つける表現は許さないという感情があった。言論には言論で返すのではなく、刃物で返そうとする空気があった。
嶋中事件を理解するには、深沢七郎の小説だけでなく、当時の右翼が何に怒り、何を守ろうとしていたのかを見る必要がある。
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深沢七郎は事件後、作家をやめたのか
嶋中事件のあと、深沢七郎の立ち位置は決定的に変わった。
『風流夢譚』以前の深沢は、文壇に現れた異端の注目作家だった。『楢山節考』で評価され、中央公論新人賞出身の作家として文壇に迎えられていた。
しかし、『風流夢譚』以後、深沢は「注目作家」ではなく「筆禍作家」として語られるようになる。
作品そのものより、事件の名前が先に立つようになった。
深沢は事件後、文壇の表舞台から離れた。放浪生活に入り、のちに埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営み、今川焼き屋を開いた。
ただし、「作家を完全にやめた」と言うのは正確ではない。
深沢七郎は、その後も作品を書いている。『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを発表し、1979年には『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受けている。
つまり、深沢は文学から完全に消えたわけではない。
だが、『風流夢譚』以前の場所には戻れなかった。
文壇に迎えられた異端児から、文壇の外に立つ異物へ。
深沢七郎の立ち位置は、そう変わったのである。
関連書籍:みちのくの人形たち
天皇に触れることの危険性
戦後日本において、天皇は制度上は「神」ではなくなった。
しかし、天皇に触れることは、なお危険な意味を持ち続けた。
深沢七郎は、小説の中で天皇を夢に出した。
奥崎謙三は、現実の天皇に向かってパチンコ玉を撃った。
東アジア反日武装戦線は、昭和天皇の乗る列車を爆破しようとする「虹作戦」を計画した。
方法も思想も違う。
深沢は文学で天皇に触れた。
奥崎は個人の行動として天皇に向かった。
東アジア反日武装戦線は、反日思想にもとづく爆破計画として天皇を標的にした。
だが共通しているのは、天皇という存在が、戦後日本の中でなお巨大な磁場であり続けたということである。
天皇を守ろうとする者がいる。
天皇に怒りを向ける者がいる。
天皇を批判の象徴として扱う者がいる。
天皇を文学の夢の中へ引きずり出す者がいる。
それぞれの方向は違っても、中心には天皇がいる。
戦後日本は、天皇を制度として整理した。しかし、感情として整理しきれたわけではなかった。
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『風流夢譚』は文学だったのか、事件だったのか
『風流夢譚』の難しさは、作品そのものが事件に呑み込まれてしまった点にある。
本来なら、小説として読まれるべき作品である。
夢の構造。風刺の方法。天皇の描き方。民衆の暴力と祝祭性。深沢七郎の土俗的な想像力。
そうした文学的な論点はいくつもある。
しかし現実には、『風流夢譚』は嶋中事件と切り離して語ることが難しい。作品名を出せば、事件の名前がついてくる。小説として読む前に、右翼テロの原因として読まれてしまう。
これは作品にとっても、作家にとっても不幸なことだった。
だが同時に、『風流夢譚』がそこまで危険な場所に触れた作品だったことも事実である。
天皇を扱うこと。
天皇を夢に出すこと。
天皇を笑いと暴力の場に置くこと。
それは、戦後日本の言論空間にとって、まだ耐えられないことだった。
『風流夢譚』は、文学だった。
だが、その文学は、文学の外にあった感情を刺激した。
そしてその感情は、現実の殺人事件となって噴き出した。
まとめ|天皇を夢に出しただけで、人が殺される社会
『風流夢譚』は、天皇を扱った小説である。
しかし、それは文学の中だけに閉じた問題ではなかった。天皇をどう書くのか。天皇にどう向き合うのか。天皇を批判することはどこまで許されるのか。
深沢七郎は、天皇を夢の中に出した。
ただそれだけで、戦後日本の奥に眠っていた殺意が現実に出てきた。
もちろん、小説が人を殺したのではない。
人を殺したのは、刃物を持った人間である。
だが、『風流夢譚』は、その人間を生み出した時代の空気を露出させた。
制度としての天皇は、戦後に変わった。
しかし、感情としての天皇は、まだ変わりきっていなかった。
『風流夢譚』とは、天皇を夢に出しただけで、人が殺される社会を露出させた小説である。
『風流夢譚』は、いま読んでも扱いの難しい小説である。
天皇を夢に出しただけで、なぜここまでの怒りが生まれたのか。深沢七郎は何を書き、戦後日本は何に反応したのか。
作品そのものを読めば、事件の輪郭だけでなく、深沢七郎という作家の不気味な笑いも見えてくる。
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この問いは、嶋中事件だけで終わっていない。
個人として天皇に向かった人物としては、奥崎謙三がいる。
そして反日思想の側から天皇を標的にしたものとして、東アジア反日武装戦線の「虹作戦」がある。
『風流夢譚』は、天皇を名指ししたことによって禁忌に触れた小説だった。
だが、禁忌への触れ方はそれだけではない。
名前を出すことで露出するものもあれば、名前を伏せることで、かえって濃く浮かび上がるものもある。
文学や歌詞は、ときに沈黙によって中心を描く。




