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東アジア反日武装戦線とは何だったのか|連続企業爆破事件を時系列で整理

東アジア反日武装戦線とは何だったのか 書物私論

東アジア反日武装戦線とは、1970年代の日本で連続企業爆破事件を起こした極左系の地下グループである。

代表的な事件は、1974年8月30日に起きた三菱重工ビル爆破事件だ。この事件では多数の死傷者が出て、戦後日本のテロ事件の中でも大きな衝撃を残した。

しかし、東アジア反日武装戦線を単に「爆破事件を起こした過激派」とだけ見ると、その全体像は見えにくい。

彼らは日本国家、天皇制、旧財閥系企業、ゼネコン、高度経済成長を支えた企業社会そのものを攻撃対象として見ていた。そこには、共産主義政党のように国家権力を奪取しようとする発想よりも、国家そのものを否定するアナーキズム的な色彩が強くあった。

この記事では、東アジア反日武装戦線とは何だったのかを、発生の背景、思想、事件、主要人物、そして日本赤軍との接続まで時系列で整理する。

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東アジア反日武装戦線とは

東アジア反日武装戦線は、「狼」「大地の牙」「さそり」という複数の小グループからなる地下組織だった。

中心となったのは「狼」であり、その後、「大地の牙」「さそり」も加わって、旧財閥系企業や大手ゼネコンなどを標的にした爆破事件を起こしていく。

名前にある「反日」という言葉は、外国から日本を憎むという意味ではない。彼らは、日本人である自分たち自身を、アジア侵略や植民地主義の側にいる存在として見ていた。

つまり彼らにとっての「反日」とは、日本国家や企業社会、天皇制、戦後の経済成長そのものを否定する思想だった。

ここが、一般的な共産主義運動とは少し違う。

共産党型の運動であれば、労働者階級、前衛党、国家権力の奪取、社会主義国家の建設といった構想が中心になる。しかし東アジア反日武装戦線は、そうした政党型の革命運動というより、国家と企業をまとめて否定する地下グループだった。

そのため、彼らは新左翼の流れに属しながらも、思想的にはアナーキズムに近い部分を持っていたといえる。

発生の背景|新左翼の退潮と自己否定

東アジア反日武装戦線が登場した1970年代前半は、新左翼運動が大きく行き詰まっていた時代だった。

1960年代後半の学生運動は、大学闘争や安保闘争で大きな盛り上がりを見せた。しかし、1970年代に入ると運動は退潮していく。内ゲバ、組織分裂、連合赤軍事件などによって、新左翼は社会的支持を失っていった。

その中で、東アジア反日武装戦線は、従来の学生運動や党派運動とは違う形で現れた。

彼らが重視したのは、労働者革命というより、日本人であることへの自己否定だった。日本はアジアを侵略し、朝鮮半島を植民地化し、アイヌや沖縄を抑圧してきた。その加害の歴史の延長線上に、戦後の企業社会や高度経済成長もある。

彼らはそう考えた。

もちろん、その問題意識の中には、戦後日本が見ないようにしてきた歴史への問いも含まれていた。しかし、彼らが選んだ方法は、爆破という暴力だった。思想がどれほど社会批判を含んでいたとしても、現実に起きたのは無関係の市民を巻き込むテロ事件だった。

関連記事:新左翼とは何だったのか
関連記事:連合赤軍とは何だったのか

1974年3月|『腹腹時計』の地下出版

東アジア反日武装戦線の活動は、いきなり三菱重工ビル爆破事件から始まったわけではない。

1974年3月、「狼」は『腹腹時計』を地下出版した。

これは、東アジア反日武装戦線の思想文書であると同時に、武装闘争のための教程本でもあった。そこには、反日思想や企業攻撃の論理だけでなく、地下活動の心得、ゲリラ戦の考え方、爆破闘争に関する内容などが含まれていたとされる。

つまり『腹腹時計』は、単なる政治評論や声明文ではなかった。彼らにとっては、自分たちの思想を実行に移すための手引きだったのである。

ここに、東アジア反日武装戦線の危うさが表れている。彼らは日本国家や企業社会への批判を、言葉だけで終わらせなかった。その批判を、現実の爆破事件へと接続していった。

1974年8月|虹作戦

同じ1974年8月には、昭和天皇を標的とした爆破未遂計画があった。これが「虹作戦」である。

結果として未遂に終わったが、この計画は東アジア反日武装戦線の思想をよく示している。

彼らにとって攻撃対象は、ひとつの企業だけではなかった。日本国家、天皇制、旧財閥系企業、高度経済成長を支える企業社会そのものが、告発と攻撃の対象だった。

この点で、東アジア反日武装戦線は単なる反企業グループではない。反国家、反天皇制、反植民地主義の思想を持つ地下グループだった。

1974年8月30日|三菱重工ビル爆破事件

東アジア反日武装戦線を社会に強く刻み込んだのが、1974年8月30日の三菱重工ビル爆破事件である。

東京・丸の内の三菱重工本社ビルで爆発が起き、多数の死傷者が出た。三菱重工は旧財閥系企業であり、戦前から戦後にかけて日本の軍事・産業と深く関わってきた企業だった。

東アジア反日武装戦線は、そこに「日本帝国主義」の象徴を見た。

1974年末から1975年|連続企業爆破事件へ

三菱重工ビル爆破事件の後、東アジア反日武装戦線はさらに連続企業爆破事件へと進んでいく。

「狼」だけでなく、「大地の牙」「さそり」も加わり、旧財閥系企業、大手ゼネコン、商社などが標的とされた。

具体的には、三菱重工、三井物産、帝人中央研究所、大成建設、鹿島建設、間組、オリエンタルメタル社、韓国産業経済研究所などが狙われた。

時系列で見ると、主な事件は次のようになる。

1974年8月30日、三菱重工東京本社ビルが爆破され、8人が死亡し、多数の負傷者が出た。

同年10月14日には、三井物産本社が入る物産館が爆破された。

同年11月25日には、帝人中央研究所が狙われた。

同年12月10日には、大成建設本社が爆破された。

同年12月23日には、鹿島建設の資材置場が爆破された。

1975年2月28日には、間組の本社ビルと大宮工場が狙われた。

さらに同年4月19日には、オリエンタルメタル社と韓国産業経済研究所が爆破された。

同年4月28日には、間組の京成江戸川作業所が爆破され、5月4日には間組の京成江戸川橋鉄橋工事現場も狙われた。

こうして見ると、東アジア反日武装戦線が攻撃対象にしたのは、単なる個別企業ではなかったことがわかる。

彼らは、戦前から戦後にかけて日本の産業、軍事、海外進出、建設事業に関わってきた企業群を、「日本帝国主義」や「経済侵略」の象徴として見ていた。

しかし、企業を狙ったはずの攻撃は、そこで働く人々、周辺を通行していた人々、無関係の市民を巻き込んでいった。

ここに、東アジア反日武装戦線の思想と現実の決定的な断絶がある。

1975年5月|メンバーの一斉逮捕

1975年5月、警察は東アジア反日武装戦線のメンバーを一斉に逮捕した。

これにより、「狼」「大地の牙」「さそり」の活動は大きく壊滅する。

逮捕されたメンバーの中には、大道寺将司、大道寺あや子、佐々木規夫、浴田由起子らがいた。一方で、すべてのメンバーがすぐに逮捕されたわけではない。

その一人が、桐島聡である。

桐島聡は「さそり」のメンバーとされ、長い間、指名手配されることになる。彼の逃亡は、東アジア反日武装戦線という1970年代の事件を、半世紀後の現代にまで引き延ばすことになった。

桐島聡については、関連記事「桐島聡とは何者だったのか」で詳しく整理している。

主要人物

東アジア反日武装戦線を理解するには、主要人物を押さえておく必要がある。

大道寺将司は、「狼」の中心人物である。東アジア反日武装戦線を語るうえで、もっとも重要な人物の一人だ。

大道寺あや子は、大道寺将司の妻であり、同じく「狼」に関わった人物である。のちに日本赤軍によるダッカ事件で釈放要求の対象となり、日本赤軍との接続を考えるうえでも重要な存在になる。

佐々木規夫も「狼」のメンバーであり、現在も国際手配の対象として名前が知られている。

浴田由起子は「大地の牙」に関わった人物である。東アジア反日武装戦線がひとつの中央集権的な組織ではなく、複数の小グループによって構成されていたことを考えるうえで重要だ。

日本赤軍との接続

東アジア反日武装戦線は、国内で企業爆破事件を起こしたグループだった。

一方、日本赤軍は海外へ出て、パレスチナ闘争や国際テロと接続していった組織である。

両者は同じ新左翼の時代に現れたが、方向は違っていた。

日本赤軍が国外へ向かった武装闘争だとすれば、東アジア反日武装戦線は国内に残り、日本国家と企業社会を内側から攻撃しようとした武装闘争だった。

ただし、両者は完全に切り離されていたわけではない。

1977年のダッカ事件では、日本赤軍が獄中メンバーの釈放を要求し、その中には東アジア反日武装戦線の関係者も含まれていた。大道寺あや子らの存在は、東アジア反日武装戦線と日本赤軍を結ぶ重要な接点である。

この流れについては、関連記事「日本赤軍とは何だったのか」でも整理している。

まとめ|東アジア反日武装戦線とは何だったのか

東アジア反日武装戦線とは、1970年代の日本で、反日、反帝国主義、反天皇制、反企業社会の思想を掲げ、連続企業爆破事件を起こした地下グループだった。

彼らは単純な共産主義者ではなかった。共産党のように国家権力を奪い、社会主義国家を作ろうとしたわけではない。むしろ、国家そのものを否定するアナーキズム的な性格が強かった。

彼らにとって、日本国家、天皇制、旧財閥系企業、高度経済成長は、すべて加害の構造としてつながっていた。

しかし、その思想は爆破という方法を選んだ。

その結果、無関係の市民が巻き込まれ、多くの被害者が生まれた。

東アジア反日武装戦線の事件は、戦後日本の暗い断面である。そこには、戦争責任や植民地主義を問う視点があった。同時に、その問いが暴力に変わったとき、どれほど現実の人間を傷つけるのかも示している。

思想は、社会を見るための刃になる。

だが、その刃が人間そのものに向いたとき、そこに残るのは革命ではなく、取り返しのつかない被害である。

東アジア反日武装戦線をさらに知りたい場合は、高祐二『「狼」と「さそり」そして「大地の牙」』も参考になる。事件の時系列だけでなく、「狼」「さそり」「大地の牙」という各グループの動きや、当時の空気を知るうえで手がかりになる一冊である。

また、東アジア反日武装戦線を理解するには、同じ時代の新左翼運動の流れも押さえておく必要がある。

学生運動、連合赤軍、日本赤軍などの流れについては、こちらの記事で整理している。

東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバーとされた桐島聡の長期逃亡は、1970年代の事件が半世紀後の現代まで続いていたことを示す出来事だった。

東アジア反日武装戦線のメンバーの一部は超法規的処置として釈放され、その後、日本赤軍と合流した。この流れについては、こちらの記事で詳しく整理している。

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