美空ひばりを語るとき、避けて通れない人物がいる。
三代目山口組組長、田岡一雄である。
現在の感覚からすると、国民的歌手と暴力団組長が深い関係にあったこと自体が理解しにくい。
しかし、美空ひばりと山口組の関係は、彼女が大スターになった後に突然始まったものではない。
始まりは、まだ11歳だった美空ひばり、本名・加藤和枝が全国的なスターになる直前まで遡る。
そしてその関係は、ひばり本人だけで終わらなかった。
母・加藤喜美枝、弟・かとう哲也、さらに哲也の実子で美空ひばりの養子となった加藤和也までを見ると、これは「美空ひばりと田岡一雄」という二人だけの話ではないことがわかる。
むしろ、
加藤家と山口組
という視点から見た方が、その全体像は理解しやすい。
美空ひばりと田岡一雄の出会いは1948年
美空ひばりと田岡一雄の接点は、1948年まで遡る。
当時のひばりはまだ11歳。
母・加藤喜美枝とともに芸能活動を始めていたものの、「悲しき口笛」で全国的スターになるのは翌1949年であり、まだ無名に近い少女だった。美空ひばり公式年譜でも、1948年には横浜国際劇場などで活動し、翌1949年にレコードデビュー、「悲しき口笛」の大ヒットによって一躍スターになったことが確認できる。
1948年冬、ひばりと母・喜美枝は横浜国際劇場支配人の福島通人に伴われ、田岡一雄のもとを訪れたとされている。
神戸松竹劇場へ出演するにあたり、神戸の興行界で影響力を持っていた田岡への挨拶だった。
田岡自身も後年、美空ひばりという少女をその時まで知らなかった趣旨を自伝に残している。
つまり重要なのは、
美空ひばりがスターになったから山口組が近づいたわけではない
ということである。
田岡との出会いは、ひばりが国民的歌手になる前だった。
田岡一雄自身が語った、美空ひばりとの出会い
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なぜヤクザの組長に挨拶する必要があったのか
現在の芸能界しか知らなければ、11歳の少女歌手が暴力団組長へ挨拶に行くこと自体が異様に見える。
だが戦前から戦後にかけて、地方興行と任侠組織は現在よりはるかに近いところにあった。
劇場の手配、芸能人の移動、警備、地元との調整など、興行を成立させる過程で地元の顔役が関わることは珍しくなかった。
田岡一雄も山口組の勢力拡大だけを行っていた人物ではない。
神戸港の港湾事業へ進出すると同時に神戸芸能社を設立し、芸能興行を事業として展開した。美空ひばりの地方興行も、その重要な柱となっていった。
ここに、戦後芸能史と暴力団史が一本の線で交わる。
田岡一雄は美空ひばりの「後見人」になった
やがて美空ひばりは、日本を代表するスターへ成長する。
一方の田岡一雄も、三代目山口組を全国規模の巨大組織へ拡大していった。
二人の関係も単なる「興行主と歌手」を越えていく。
1958年、美空ひばりが個人事務所「ひばりプロダクション」を設立した際には、美空ひばりが社長、母・喜美枝が副社長となり、田岡一雄が会長に就いたとする資料がある。
田岡は事実上、ひばり一家の後見人的存在となっていた。
それがよくわかるのが、小林旭との結婚である。
小林旭との結婚にも田岡一雄が登場する
1962年、美空ひばりは日活スターの小林旭と結婚した。
その舞台裏について、小林旭本人が後年かなり具体的に語っている。
小林によれば、田岡一雄はひばりの母・喜美枝らとともに小林の自宅を訪問。
結婚を後押しした。
結婚式にも田岡は父親代わりの立場で出席している。
ここまで来ると、田岡は単に美空ひばりの興行を扱う人物ではない。
加藤家の重要な局面に登場する人物
になっていたことがわかる。
加藤家と山口組の関係は弟・かとう哲也へ
そして、この話を決定的に複雑にした人物が美空ひばりの実弟、
かとう哲也
である。
本名は加藤益夫。
小野透の芸名で歌手・俳優として活動した後、「かとう哲也」として芸能界へ復帰した。
しかし哲也については、山口組系組織との関係が問題となる。
後年の報道では、美空ひばりの実弟が「横浜の山口組系列組織の役職についていた」と説明している。
ほかの資料では、
三代目山口組系益田組の舎弟頭
だったとされている。
ただし、1973年1月21日、益田組組長の益田佳於はかとう哲也は組とは無関係であると発表している。
1973年、「美空ひばりショー」が公共施設から締め出される
弟の問題は、やがて姉・美空ひばりにも直撃する。
1973年、暴力団追放運動が強まるなか、かとう哲也と共演する「美空ひばりショー」が鹿児島県を皮切りに、全国各地の公会堂や市民会館から締め出される事態となった。
さらに、前年1972年まで連続出場していたNHK紅白歌合戦からも美空ひばりの名前が消える。
1972年には「ある女の詩」を歌っていたが、1973年は紅白出場歌手には選ばれなかった。
美空ひばりの長い芸能生活の中でも、大きな転換点だった。
それでも美空ひばりは弟を切らなかった
ここに、美空ひばりという人物を見る上で重要な部分がある。
世間から激しい批判を受ければ、芸能人ならば家族との距離を置くという選択肢もある。
しかし美空ひばりは、弟・哲也を完全に切り離す方向には進まなかった。
後年、哲也は芸能プロモーターとしてひばりの仕事にも関わっている。
1981年には、かとう哲也がプロデュースした「人恋酒」が発表されている。1983年10月に哲也が42歳で心不全により亡くなった後も、最後のプロデュース作品「残侠子守唄」が発売された。
ここにも、ひばりが芸能人である前に「加藤家の人間」であったことが見える。
田岡一雄の死、母・喜美枝の死
1981年7月23日、田岡一雄が死去する。
そのわずか6日後の7月29日には、美空ひばりの母・加藤喜美枝も亡くなった。
美空ひばりにとって、芸能活動を最初から支えてきた母と、少女時代から後見人的立場にあった田岡をほぼ同時期に失ったことになる。
さらに1983年には弟・哲也も42歳で死去。
1986年にはもう一人の弟・香山武彦も42歳で亡くなった。
1980年代の美空ひばりは、「昭和の歌姫」として歌い続ける一方で、家族を次々と失っていった時代でもあった。
そして加藤和也へ
ここで話は、美空ひばりの「息子」へつながる。
現在、ひばりプロダクションを率いる加藤和也である。
和也は1971年、かとう哲也の実子として生まれた。
つまり、
美空ひばりにとって実の甥
である。
両親の離婚後、幼い頃からひばり一家の中で育ち、1977年に美空ひばりと正式に養子縁組した。
血縁関係を整理すると、
かとう哲也
↓ 実子
加藤和也
↓
美空ひばりの養子へ
となる。
美空ひばりには実子はいない。
しかし弟・哲也の息子を自分の息子として育て、その和也が現在まで「美空ひばり」を継承している。
加藤和也は父や山口組との過去を隠していない
ここが、この物語の終点として非常に興味深い。
加藤和也自身は、父・哲也や山口組をめぐる過去について、なかったことにしようとはしていない。
当時の興行界について、裏社会との付き合いなしには興行が成立しにくかった時代だったと説明したうえで、
美空ひばりの歴史について嘘はつけない
という趣旨を語っている。
当然ながら、加藤和也自身を山口組との関係者として扱うべきではない。
むしろ彼の立場は逆である。
父・哲也を含めた加藤家の過去も、美空ひばりの歴史の一部として受け継いでいる人物
なのである。
和也は16歳でひばりプロダクション副社長となり、翌年社長に就任。その後も美空ひばりの作品や権利、記憶を守り続けてきた。
加藤和也は、母として育ててくれた美空ひばりだけでなく、実父・かとう哲也を含めた加藤家の記憶についても自ら書き残している。
著書『美空家の歳時記―昭和を生きた家族の記憶』では、華やかな「美空ひばり」の表側だけでは見えにくい、家族として過ごした昭和の日々が息子の視点から語られている。今回の記事でたどった「加藤家」を、内側から知ることのできる一冊である。
「美空ひばりと山口組」だけでは見えないもの
美空ひばりと山口組の関係を単純化すると、
「国民的歌手が暴力団と付き合っていた」
という話になってしまう。
しかし時系列を追うと、それだけではかなり見え方が違う。
美空ひばりがまだ11歳だった1948年、興行の世界を通じて田岡一雄と出会う。
田岡はその後、ひばりの興行を支え、個人事務所にも関わり、結婚にまで登場するほどの後見人的存在となった。
そして弟・かとう哲也は、さらに直接的に山口組系組織との関係を持ったとされ、それが1973年の美空ひばりへの激しい批判につながった。
その哲也の実子である加藤和也を、美空ひばりは養子にする。
こうして見ると、
田岡一雄
↓
美空ひばり・母喜美枝
↓
弟かとう哲也
↓
哲也の息子・加藤和也
という一本の家族史が見えてくる。
ただし、その意味は世代によってまったく異なる。
田岡とひばりの時代は、任侠組織と興行界が隣接していた戦後芸能史そのものだった。
哲也の時代になると、それが「暴力団との関係」として社会から排除され始める。
そして和也の時代には、その過去を隠すのではなく、美空ひばりという巨大な存在の歴史として語り直す段階に入った。
「美空ひばりと山口組」という言葉だけでは、この変化は見えない。
これは同時に、戦後日本の芸能界と暴力団との距離が、半世紀の間にどう変わっていったのかを示す一つの家族史でもある。
本記事では、田岡一雄との出会いから、かとう哲也、加藤和也へと続く加藤家の歴史をたどった。
山口組側から当時の芸能界を見るなら、田岡一雄自身が美空ひばりとの出会いを記した『山口組三代目 田岡一雄自伝〈第2部〉迅雷篇』。
一方、加藤家の内側から美空ひばりや家族の記憶を読むなら、息子・加藤和也による『美空家の歳時記―昭和を生きた家族の記憶』がある。
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