宮崎勤の映像を見ると、奇妙な印象が残る。
逮捕後の姿も、法廷に出入りする姿も、表情の変化が乏しい。
2001年、東京高裁で二度目の死刑判断を受けた際にも、宮崎はほとんど表情を変えなかったと報じられている。公判中には怪獣の絵を描き、犯行について「ネズミ人間」が現れたなど、捜査段階とは大きく異なる説明も始めていた。
では、宮崎勤は精神病だったのか。
実は、この問いに対して精神科医たちの答えは一致しなかった。
ある鑑定では人格障害であり完全責任能力があるとされた。
別の鑑定では解離症状を伴う反応性精神病で心神耗弱。
さらに別の鑑定では精神分裂病、現在の統合失調症に罹患しており心神耗弱とされた。
同じ宮崎勤を診察しながら、結論が三方向に割れたのである。
なぜ、これほど違う結論になったのか。
そして裁判所は、なぜその中から完全責任能力を認める判断を選んだのだろうか。
宮崎勤の精神鑑定を追っていく。
なお、宮崎勤の生い立ちや逮捕されるまでの人生については別記事で取り上げている。
関連記事:宮崎勤とは何者だったのか?「オタク殺人鬼」と呼ばれるまでの26年間
また、4人の女児が殺害された事件そのものについては、こちらで時系列に整理している。
関連記事:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件とは|4人の女児殺害と宮崎勤の家族のその後
裁判最大の争点は「宮崎勤が犯人か」ではなかった
宮崎勤の裁判で長く争われたのは、4人の事件に宮崎が関与したかどうかだけではない。
最大の争点となったのが、犯行当時の刑事責任能力だった。
日本の刑法39条では、心神喪失者の行為は罰せず、心神耗弱者については刑を減軽すると定められている。
しかし単純に、精神疾患がある=刑事責任能力がないということではない。
刑事責任能力では、精神障害の有無だけではなく、犯行時に善悪を判断する能力や、その判断に従って自分の行動を制御する能力がどの程度残っていたのかが問題となる。
責任能力は最終的には医学上の診断ではなく、裁判所が判断する法律上の問題である。東京高裁も宮崎勤事件の判決で、この点を明確にしている。
実際には「3回鑑定した」という単純な話ではない
宮崎勤について「精神鑑定が3つに割れた」とよくいわれる。
少し正確に整理しておこう。
まず1989年8月、捜査段階で簡易的な精神診断が行われた。
その後、裁判が始まってから本格的な精神鑑定が実施される。
一度目の本格鑑定では、保崎秀夫医師ら6人が共同で鑑定した。
その後、再び鑑定が行われ、今度は内沼幸雄・関根義夫両医師による鑑定と、中安信夫医師による鑑定という二つの異なる意見が提出された。
裁判で中心となったのは、
人格障害
反応性精神病・解離症状
精神分裂病
という三つの評価である。
ここから、異例ともいえる精神鑑定をめぐる論争が始まった。
最初の簡易鑑定では「人格障害の範囲」
逮捕後の1989年8月24日、医師による簡易的な精神診断が行われた。
この段階では、精神分裂病の可能性を完全には否定できないものの、診察時点では人格障害の範囲と考えられるとの結論だった。
そして、この判断も踏まえて宮崎は起訴される。
ところが裁判が始まると、宮崎の言動は捜査段階とは大きく変わっていく。
それが、本格的な精神鑑定へとつながっていった。
第1の鑑定|「人格障害だが精神病ではない」
最初の本格的な鑑定は、1990年12月から1992年3月まで約1年5カ月をかけて行われた。
保崎秀夫医師ら6人による共同鑑定である。
結論は、
宮崎勤には極端な性格的偏り、つまり人格障害は認められる。しかし犯行当時、精神分裂病を含む精神病状態にはなかった
というものだった。
そして、
善悪を判断する能力も、その判断に従って行動する能力も保たれていた
として、完全責任能力を認めた。
この鑑定が、最終的に裁判所が採用することになる考え方である。
無表情や奇妙な言動は「拘禁反応」とされた
この鑑定で興味深いのは、宮崎の無表情についても触れられていることである。
鑑定時の宮崎は、
無表情で無愛想。
簡単な質問にも「分からない」と答える。
一見すると退行したように見える。
その一方で、状況をかなり正確に把握しているようにも見える。
そうかと思えば、家族や事件について独自で奇妙な説明をする。
そうした状態だった。
鑑定医たちも、宮崎の姿を見て精神分裂病を疑わなかったわけではない。
しかし最終的には、それを長期間拘禁されたことによる「拘禁反応」と判断した。
テレビ映像を見て、
「無表情だから精神病なのではないか」
と感じること自体は不思議ではない。
実際、診察した医師たちもその可能性を検討していた。
しかし、表情が乏しいことだけで精神疾患を診断することはできない。
さらに裁判で問題となったのは、逮捕され何年も拘置された後の精神状態ではなく、1988年から1989年の犯行時にどの程度の責任能力があったのかだったのである。
第2の鑑定|解離症状と「多重人格」
ところが、その後に行われた内沼幸雄・関根義夫両医師の鑑定は、まったく違う結論を出した。
鑑定期間は1992年12月から1994年11月まで、約2年間に及んだ。
この鑑定では、宮崎は祖父の死などを契機として反応性精神病を発症し、離人症や幻視、幻聴、解離症状などを呈していたとされた。
さらに注目されたのが、
解離性同一性障害、当時一般に「多重人格」と呼ばれた状態
である。
この鑑定では、宮崎には複数の人格状態が存在し、その一つとして「今田勇子」が位置づけられた。
「今田勇子」といえば、宮崎が被害者遺族や新聞社へ送りつけた犯行声明で使用した名前である。
鑑定では、これを単なる偽名としてだけではなく、宮崎の別人格とみる解釈まで示された。
そして、犯行時には善悪を判断する能力も、それに従って行動する能力も低下していたとして、心神耗弱との判断を示した。
「今田勇子」は本当に別人格だったのか
ここが、宮崎勤裁判でも特に異色の部分である。
宮崎は「今田勇子」を名乗り、遺族や新聞社へ文書を送っていた。
内沼・関根鑑定では、これを解離症状と結びつけた。
しかし裁判所は、その見方を採用しなかった。
東京高裁は、宮崎が捜査段階では事件について具体的かつ詳細に供述し、その供述から遺骨など重要な証拠が実際に発見されたことを重視した。
一方、公判が始まってからの「ネズミ人間が現れた」「別人格が犯行に関与した」といった説明については、客観的事実との食い違いが大きいと判断した。
つまり、
別人格が犯行を行ったという説明を、裁判所は事実認定の前提として採用しなかった
のである。
第3の鑑定|「精神分裂病だった」
さらに別の結論を出したのが、中安信夫医師による鑑定だった。
中安鑑定では、
宮崎は犯行以前から精神分裂病に罹患していた
と診断された。
なお「精神分裂病」は当時の正式な病名であり、現在は統合失調症と呼ばれている。
※日本精神神経学会は2002年8月、それまでの「精神分裂病」という名称を「統合失調症」に変更した。したがって当時の鑑定記録を説明する場合には旧名称が登場するが、現在の名称では統合失調症である。
中安鑑定では、高校時代か、遅くとも印刷会社を退職する以前から病気が潜在的に始まり、集中力や意欲の低下、感情鈍麻などが進行していたと分析された。
ただし、この鑑定も、
病気が犯行のすべてを生み出した
とはしていない。
犯行の主な動機となった性的欲求や収集欲求そのものは精神疾患によるものではなく、統合失調症の影響は限定的だったと評価している。
そして、
善悪を判断する能力はほぼ保たれていたものの、行動を制御する能力には低下があったとして、広い意味で心神耗弱に当たると結論づけた。
しかも「免責される部分は少ない」としていた。
つまり
「統合失調症と診断した鑑定=無罪を主張した鑑定」
ではない。
精神疾患を認めながらも、犯罪について相当程度の責任は残ると評価していたのである。
なぜ同じ人間を鑑定して結論が割れたのか
では、なぜ専門家の結論がここまで違ったのだろうか。
大きな理由の一つが、宮崎のどの言葉を信用するかだった。
捜査段階の宮崎は、犯行についてかなり具体的に供述している。
その供述によって、それまで警察が把握していなかった遺骨や証拠が発見されたケースもあった。
ところが裁判になると、宮崎は説明を変えていった。
「ネズミ人間」が現れた。
途中から記憶がない。
夢の中で起きたような気がする。
祖父をよみがえらせるためだった。
こうした公判段階の供述を、精神症状の表れとして重視するのか。
それとも、客観的証拠と一致する捜査段階の供述を重視するのか。
ここで鑑定医の評価が大きく分かれたのである。
「犯行時」と「逮捕後」を分ける必要があった
もう一つ重要なのが時間である。
精神鑑定が行われたのは、当然ながら宮崎が逮捕された後である。
しかも本格鑑定になると、事件から何年も経過している。
その間、宮崎は拘置所に収容されていた。
仮に鑑定時点で精神状態に大きな変化が起きていたとしても、それだけでは、
1988年の犯行時にも同じ状態だった
とはいえない。
実際、人格障害とした鑑定でも、鑑定時の宮崎には無表情や奇妙な説明など、精神病を疑わせる状態が存在すること自体は認めていた。
しかし、それを犯行当時までさかのぼらせることはできないと判断したのである。
この時間差が、宮崎勤の精神鑑定を非常に難しいものにした。
裁判所が重視した「犯行中の行動」
東京地裁、そして東京高裁が重視したのは、診察室で見せた宮崎の表情だけではなかった。
むしろ、実際の犯行時に何をしていたのかだった。
宮崎は、人目を避けながら女児に接近している。
警戒されないように話しかけ、車へ誘導する。
人目につかない場所へ移動する。
事件報道を確認する。
犯行が発覚しないように行動する。
捜査をかく乱するような行為も行う。
東京高裁は、一連の犯行には計画的な面があり、宮崎が逮捕されるまで自分が犯人であることに直接結びつく証拠を残さないよう行動していたことなどを指摘した。
これは裁判所にとって大きかった。
犯罪であることを理解していなければ、なぜ発覚を避けるのか。
捜査されていることを理解していなければ、なぜ報道を確認し、証拠を隠すのか。
裁判所は、こうした行動から、宮崎には善悪を判断し、それに従って行動する能力が残っていたと判断したのである。
1997年、裁判所は完全責任能力を認めた
1997年4月14日。
東京地裁は宮崎勤に死刑判決を言い渡した。
その際、裁判所が採用したのは、人格障害は認めるものの精神病状態ではなかったとする保崎らの鑑定だった。
反応性精神病とした鑑定、精神分裂病とした鑑定については採用せず、犯行当時の完全責任能力を認定した。
宮崎側は控訴する。
しかし2001年、東京高裁も一審判断を支持した。
高裁は、宮崎には犯行時に人格の極端な偏りはあったものの、精神分裂病や反応性精神病などの精神病状態にはなく、完全責任能力を認めた一審判断に誤りはないとした。
死刑判決でも表情を変えなかった宮崎勤
2001年6月28日。
東京高裁が控訴棄却を言い渡した。
一審に続き、死刑判決が維持されたことになる。
しかし宮崎は、判決を聞いてもほとんど表情を変えなかったと報じられている。
公判中にも裁判への関心をほとんど示さず、ノートに怪獣の絵を描く姿などが目撃されていた。
映像や写真だけを見れば、この無表情さは強烈である。
しかし、宮崎勤事件の精神鑑定を追っていくと、
「無表情だから精神病だった」
という説明ではまったく足りないことが分かる。
その無表情さ自体を診察した専門医でさえ、原因について意見が分かれていたのである。
精神疾患の診断と刑事責任は別の問題である
宮崎勤裁判を理解するうえで、一番重要なのはここかもしれない。
「宮崎勤は精神病だったのか?」
という問いと、
「宮崎勤に刑事責任能力があったのか?」
という問いは同じではない。
現在の刑法でも、心神喪失なら処罰されず、心神耗弱なら刑が減軽される。
しかし精神疾患の診断を受けた人が、そのまま心神喪失や心神耗弱になるわけではない。
実際、宮崎を精神分裂病と診断した中安鑑定でさえ、善悪を判断する能力はほぼ完全に残っていたと評価している。
最終的に問われるのは、
犯行時に何を理解していたのか。
自分の行動をどこまで制御できたのか。
なのである。
最高裁は死刑判決を維持した
2006年1月17日、最高裁第三小法廷は宮崎勤の上告を棄却した。
一、二審の死刑判決が維持された。弁護側は判決訂正を申し立てたが、同年2月に退けられ、死刑が確定した。
最初の事件から17年以上。
裁判の多くの時間が、宮崎勤の精神状態と責任能力をめぐる議論に費やされたことになる。
2008年6月17日、宮崎勤の死刑は執行された。
45歳だった。
結局、宮崎勤は精神病だったのか
この問いに対して、
「精神病だった」
あるいは、
「精神病ではなかった」
と一言で断定するのは難しい。
精神科医の意見そのものが一致していないからである。
一つの鑑定は人格障害と判断した。
一つは反応性精神病と解離症状を認めた。
もう一つは精神分裂病と診断した。
そして裁判所は、これらの診断名そのものを多数決で決めたわけではない。
犯行前の生活、犯行の動機、計画性、犯行後の行動、捜査段階の供述などを総合したうえで、
犯行当時の宮崎勤には完全責任能力があった
と判断したのである。
宮崎勤の無表情な姿だけを見れば、何かを感じ取ろうとしてしまう。
怪獣の絵。
ネズミ人間。
多重人格。
統合失調症。
人格障害。
さまざまな言葉が宮崎勤という人物に貼り付けられていった。
しかし精神鑑定の記録を読むと、むしろ逆である。
専門家が長期間観察しても、一つの言葉では説明できなかった。
それでも司法は判断しなければならない。
宮崎勤裁判で問われたのは、彼をどの病名で呼ぶべきかではなく、4人の女児を殺害したその時、自分の行為を理解し、制御する能力があったのかという一点だった。
そして司法が出した最終的な答えは、「あった」である。
宮崎勤の精神鑑定をさらに読むなら
宮崎勤の精神鑑定をさらに詳しく知りたい人には、瀧野隆浩『宮崎勤 精神鑑定書―「多重人格説」を検証』がある。
宮崎事件を取材した新聞記者が、精神鑑定や犯行時の心理、祖父との関係、ビデオ収集への没頭、「多重人格説」がどのように組み立てられていったのかを追った一冊である。初版は1997年に刊行され、その後、第一審の死刑判決などを踏まえて改訂版も刊行された。
今回の記事で扱った「なぜ精神鑑定が割れたのか」「今田勇子を別人格とみる説は何だったのか」を、さらに掘り下げて読みたい場合の資料になる。
宮崎勤事件では、複数の精神科医による鑑定が行われ、その結論は人格障害、反応性精神病、統合失調症と大きく分かれた。
一方、1997年の神戸連続児童殺傷事件では、精神科医・中井久夫が少年Aの精神鑑定を担当している。中井は少年Aと繰り返し面接し、その精神状態や事件に至る背景を詳細に検討した。
同じ重大事件の精神鑑定でも、宮崎勤事件とは異なる少年司法の中で、精神科医が加害者をどう理解しようとしたのか。




