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ブルーハーツの歌詞だと思っていた「あきらめきれぬとあきらめる」|映画『大コメ騒動』で知った明治の歌

ブルーハーツ泣かないで恋人よ あきらめきれぬ 歌詞考察
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映画『大コメ騒動』を観ていて、思わず耳を疑った。

「あきらめきれぬとあきらめる」

聞き覚えのある言葉だった。

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の『泣かないで恋人よ』に登場する歌詞である。

私は長い間、この言葉を作詞した真島昌利が独自に考えたものだと思っていた。

ところが、映画の中で歌われていたのはブルーハーツではない。明治時代に生まれた『あきらめ節』という歌だった。

調べてみると、この言葉には自分が思っていたよりもずっと古い歴史があった。

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ブルーハーツ『泣かないで恋人よ』の歌詞

『泣かないで恋人よ』は、1991年12月21日に発売されたブルーハーツの5枚目のアルバム『HIGH KICKS』に収録されている。

作詞・作曲は真島昌利。

曲の中盤に「あきらめきれぬとあきらめる」という一節が登場する。

この歌詞が私は好きだった。

諦められないことを、無理に諦めようとしなくてもいい。

どうしても諦められないなら、諦められない自分をそのまま受け入れてしまえばいい。

一見矛盾した言葉だが、人間の感情を実にうまく表現している。

そして、そんな言葉を生み出した真島昌利の感性に魅力を感じていた。

ところが、この一節は1991年よりはるか以前から歌われていたのである。

映画『大コメ騒動』で耳にした同じ言葉

きっかけは、2021年公開の映画『大コメ騒動』だった。

監督は本木克英、主演は井上真央。立川志の輔、柴田理恵、室井滋、夏木マリらが出演している。

舞台は1918年(大正7年)の富山県。

米価の高騰に苦しむ女性たちが立ち上がり、全国へと広がる米騒動の発端となった出来事を描いた作品である。

映画では、立川志の輔が狂言回しとして登場し、『あきらめ節』を歌う。

その歌を聴いていると、突然、ブルーハーツでおなじみの言葉が出てきた。

最初は富山の民謡なのかと思った。

しかし、調べてみると違った。

この歌は、明治時代の演歌師・添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)による社会風刺の歌だった。

添田唖蝉坊の『あきらめ節』とは

添田唖蝉坊は、明治から昭和にかけて活動した演歌師である。

当時の演歌は、現在の歌謡曲としての演歌とは異なる。社会への不満や政治批判を歌に乗せ、街頭などで歌い広める文化だった。

『あきらめ節』が発表されたのは1906年(明治39年)。

歌われているのは、貧しい庶民の暮らしや、権力者に対する皮肉である。

地主や金持ちは好き勝手に振る舞い、役人は威張る。庶民は税金を払い、働いても豊かになれず、それを自分の不運だと諦める。

歌はそんな世の中を風刺しながら、最後に「あきらめきれぬとあきらめる」と結ぶ。

つまり、何もかも諦めるしかない社会を描きながら、最後には諦めきれない人間の本音を残している。

単純な諦めの歌ではない。

むしろ、諦めを強いる社会に対する抵抗の歌とも読める。

この『あきらめ節』は、後にフォーク歌手の高田渡が曲をつけ、加川良(かがわ・りょう)も歌っている。

加川良の1971年発売のアルバム『教訓』に収録されており、現在はAmazon Musicでも聴くことができる。

ブルーハーツの『泣かないで恋人よ』を知っている人には、ぜひ一度聴いてみてほしい。

明治時代の社会風刺の歌から、あの言葉が聞こえてくる。

▶加川良『あきらめ節』をAmazon Musicで聴く

さらに古い都々逸にも似た表現があった

驚いたことに、この言葉に似た表現は『あきらめ節』だけではなかった。

江戸時代末期に広まった、七・七・七・五の音律を持つ俗曲「都々逸(どどいつ)」にも、同じ発想の一節が存在する。

それは、諦めたという人に、どう諦めたのかと問いかけるものだ。

その答えは、諦めきれないと諦めた、という逆説になっている。

恋愛の未練を表現した言葉として知られている。

ただし、この都々逸がいつ誰によって作られたのか、また添田唖蝉坊が直接参考にしたのかまでは確認できない。

少なくとも、諦められないことを諦めるという逆説が、古くから人々に親しまれてきたことはわかる。

同じ言葉でも、歌の意味は少し違う

ここで興味深いのは、『あきらめ節』と『泣かないで恋人よ』では、歌の背景がまったく異なることである。

『あきらめ節』が描いているのは、貧困や社会の不公平だ。

どれだけ苦しくても、庶民は自分の運命を諦めるしかない。しかし、本当は諦めきれない。

そこには社会への怒りがある。

一方、ブルーハーツの『泣かないで恋人よ』は、もっと個人的な感情を歌っている。

夢でも恋愛でも、どうしても諦められないものがあるなら、それは悪いことではない。

諦めきれない気持ちを肯定しながら、人間を励ます歌になっている。

社会への風刺と、個人への励まし。

同じ言葉が、異なる時代に異なる意味合いで歌われているのである。

真島昌利は『あきらめ節』を知っていたのか

ここで一つ疑問が残る。

真島昌利は、添田唖蝉坊や加川良の『あきらめ節』を知っていたのだろうか。

この点については、本人が引用や影響を明言した資料を確認できなかった。

そのため、昔の歌を意識して取り入れたのか、あるいは同じ発想に独自にたどり着いたのかは断定できない。

ただ、仮に昔の歌から着想を得ていたとしても、『泣かないで恋人よ』の価値が変わるわけではない。

同じ言葉でも、その前後に置かれる言葉や曲によって受け取る意味は変わってくる。

真島昌利が書いた『泣かないで恋人よ』は、間違いなくブルーハーツの歌なのである。

まとめ|年齢を重ねるほど身に染みる言葉

私はずっと、「あきらめきれぬとあきらめる」という言葉を真島昌利が生み出したものだと思っていた。

おそらく、『あきらめ節』を知らずにブルーハーツを聴いてきた人の中には、同じように思っていた人もいるのではないだろうか。

映画『大コメ騒動』を観なければ、私もそのままだったと思う。

1906年の社会風刺の歌と、1991年のロックバンド。まったく異なる時代の歌に、同じ言葉が登場する。

それを知ってから、ブルーハーツの『泣かないで恋人よ』が少し違って聞こえるようになった。

そして、もう一つ思うことがある。

「あきらめきれぬとあきらめる」

「諦めきれぬことがあるなら、それはきっといいことだ」

若い頃は、ただ良い歌詞だと思って聴いていた。

しかし、年齢を重ねるにつれて、この言葉がますます身に染みるようになってきた。

人生には、諦めなければならないことがいくつもある。若い頃には想像もしなかった現実に直面し、いつの間にか諦めることにも慣れていく。

それでも、まだ諦めきれないものがある。

若い頃には当たり前だったその感情が、年齢を重ねるほど貴重なものに思えてくる。

諦めきれないことがある。それ自体が、きっといいことなのだ。

そんなことを、明治時代の歌に出会って、あらためて考えた。

映画『大コメ騒動』とブルーハーツ『HIGH KICKS』

今回、この言葉を再発見するきっかけになったのが映画『大コメ騒動』である。

1918年の富山県を舞台に、米騒動の発端となった女性たちの行動を描いた作品だ。

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一方、ブルーハーツの『泣かないで恋人よ』は、1991年発売のアルバム『HIGH KICKS』に収録されている。

若い頃に聴いた歌を、年齢を重ねてから改めて聴いてみるのもいい。

▶THE BLUE HEARTS『HIGH KICKS』をAmazonで見る

あわせて読みたい|ブルーハーツ『ナビゲーター』の歌詞の意味

ブルーハーツには、ほかにも年齢を重ねてから改めて考えさせられる歌がある。

その一つが『ナビゲーター』だ。

「ナビゲーターは魂だ」という言葉には、人生の水先案内人は自分自身の心や信念であるというメッセージが込められていると私は考えている。

こちらの記事では、その歌詞に込められた意味を、文学作品との関係も含めて考察した。

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