『オースティン・パワーズ』はかなり面白い映画である。
ところが不思議なことに、私の周囲でこの映画を観ている人があまり多くない。
タイトルを聞いたことがある人はいる。主人公の奇妙な格好を見れば、「なんとなく知っている」という人もいるだろう。
しかし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ゴーストバスターズ』のように、昔の外国映画について話していると自然に名前が出てくる作品ではない。
では『オースティン・パワーズ』は、日本ではヒットしなかったのか。
実はそうでもない。
日本でも一定のヒットを記録している。しかし本国アメリカでの人気は、その比ではなかった。
『オースティン・パワーズ』とは、いったい何だったのか。
そして、なぜ日本では「観た人は好きなのに、観ていない人が妙に多い映画」になったのだろうか。
『オースティン・パワーズ』とは
シリーズ第1作『オースティン・パワーズ』は1997年にアメリカで公開されたコメディ映画である。日本では1998年8月1日に公開された。
主人公は、1960年代に活躍した英国のスパイ、オースティン・パワーズ。
宿敵Dr.イーブルが冷凍睡眠によって未来へ逃亡したため、オースティンも自ら冷凍保存される。
そして約30年後。
1990年代に復活したオースティンは、すっかり変わってしまった社会のなかで再びDr.イーブルと戦うことになる。
オースティンを演じるのはマイク・マイヤーズ。
しかもマイヤーズは主人公だけではなく、宿敵Dr.イーブルも演じている。
シリーズが進むと一人何役なのか分からなくなるほど、さらに別の人物まで演じ始める。
アメリカが作った「英国スパイ映画」のパロディ
舞台や文化の中心にあるのはイギリスだが、『オースティン・パワーズ』そのものはアメリカ映画である。
元ネタとして最も分かりやすいのは『007』シリーズだろう。
秘密兵器、美しい女性、世界征服を企む悪の組織、奇妙な基地、派手な車。
1960年代のスパイ映画が持っていた格好よさを、これでもかというほど馬鹿馬鹿しい方向へひっくり返している。
オースティン自身も強烈である。
派手なベルベットのスーツ。
むき出しの胸毛。
特徴的な歯並び。
女性を見ればすぐに口説き始め、それでいて本人は自分を世界最高のセクシーな男だと微塵も疑っていない。
普通なら格好いいスパイを主人公にするところを、あえてこの男を世界一のスパイとして成立させてしまう。
そこからして、この映画はおかしい。
主人公も悪役も「時代遅れ」である
私がこの映画で面白いと思うのは、オースティンだけが時代遅れなのではないところである。
宿敵Dr.イーブルもまた、時代に取り残されている。
彼も1960年代からやってきた人間なので、世界征服のために要求する金額の感覚まで古い。
本人は途方もない額を要求したつもりなのに、周囲からすればたいした金額ではない。
つまりこの映画では、主人公も時代遅れなら、悪役も時代遅れなのである。
善と悪の戦いである以前に、1960年代からやってきた二人の男が1990年代という知らない世界で暴れている。
これが『オースティン・パワーズ』の基本構造になっている。
アメリカでは大ヒット、日本では「中ヒット」
ここが、この映画の面白いところである。
日本でまったく人気がなかったわけではない。
第1作は当初、ミニシアターで限定公開された。しかし口コミなどで評判が広がり、上映館が増加。ミニシアター公開のコメディとしては異例のヒットになった。
さらに1999年公開の第2作『オースティン・パワーズ:デラックス』は、日本でも銀座・新宿・渋谷3地区の代表館集計で初登場2位。その後もランキングに残っている。
だから「日本では売れなかった映画」と考えるのは間違いである。
ただし、本国アメリカでの状況はまったく違う。
第2作は全米公開初週末で約5,490万ドルを稼ぎ、当時公開中だった『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』を上回って1位になった。
最終的な北米興行収入は約2億600万ドル、世界では約3億1200万ドル。
2002年の第3作『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』も北米だけで約2億1300万ドルを稼いでいる。
これはもう「ちょっと人気のコメディ映画」という規模ではない。
アメリカでは完全に大ヒットシリーズである。
対して日本では、確かにヒットはしたものの、アメリカほど巨大な現象にはならなかった。
公式な興行分類ではないが、感覚的には、
アメリカでは大ヒット、日本では中ヒット。
このくらいの温度差だったと考えると分かりやすい。
日本でもヒットしたのに、なぜ今あまり語られないのか
『オースティン・パワーズ』は、日本で誰にも観られなかった映画ではない。
むしろ公開当時は、それなりに存在感があった。
それなのに現在では、映画好き同士で話していても意外なほど名前が出てこない。
理由の一つは、この映画の笑いが非常に英語圏的だからだろう。
『007』を中心とした英国スパイ映画。
1960年代のロンドン文化。
英語の言葉遊び。
性的なジョーク。
アメリカ人から見た英国人像。
こうしたものが何層にも重なっている。
日本で観ても映像だけで十分笑えるのだが、文化的背景まで理解するとさらに笑えるというタイプの作品なのである。
そして日本では外国製コメディそのものが、大作アクションやSFほど長期間「名作」として語り継がれにくい面もある。
『オースティン・パワーズ』はヒットした。
しかし「定番」にはならなかった。
私の周囲で観ている人が少ないという感覚も、そこにつながっているのかもしれない。
60年代を見る感覚は、現在の日本人が昭和を見る感覚に少し似ている
もう一つ、この映画を観ていて感じることがある。
1990年代から1960年代を眺める『オースティン・パワーズ』の視線は、現在の日本人が昭和を振り返る感覚と少し似ている。
服装は派手。
酒やタバコにも今ほど厳しくない。
男が女性に対して遠慮なく振る舞う。
現在なら問題になりそうなことも、当時の映画やテレビでは普通に描かれている。
もちろん、実際の1960年代や昭和が本当に「何でも許された、おおらかな時代」だったわけではない。
当時には当時の窮屈さがあり、差別や社会的な抑圧も存在した。
重要なのは事実として自由だったかどうかではなく、後の時代から見ると、そのように見えることである。
「昔はもっと無茶ができた」
「今なら怒られる」
「でも何となく楽しそうだ」
現在の日本で昭和を振り返るときにも、こうした感覚がある。
オースティン・パワーズは、それをそのまま人間にしたような存在である。
昔を肯定するわけでも、否定するわけでもない
面白いのは、『オースティン・パワーズ』が60年代を完全には否定していないことである。
時代遅れのオースティンを、
「こんな男はもう許されない」
と排除する映画ではない。
かといって、
「1960年代は素晴らしかった」
と懐古する映画でもない。
昔の価値観を現代へ連れてきて、そのズレそのものを笑っている。
これは現在の日本で、昭和の映画やテレビを見たときの笑いにも近い。
「これは今なら放送できないな」
と思いながら、妙に面白い。
『オースティン・パワーズ』には、その感覚が作品全体に流れている。
下ネタだらけなのに、妙に映像がうまい
そして、この映画を語るなら下ネタを避けることはできない。
とにかく多い。
しかし『オースティン・パワーズ』の下ネタは、単に露骨な言葉を並べるだけではない。
映像を使った馬鹿馬鹿しい工夫がある。
その代表が、第2作『オースティン・パワーズ:デラックス』に登場するテントの場面である。
オースティンとフェリシティがテントの中で荷物を探している。
実際にはただ荷物を出し入れしているだけなのだが、ランプによって二人の影がテントの外側に映し出される。
すると外から見た影は、まったく別の、とても人には見せられない行為をしているように見える。
しかも次々と荷物が出てくるたびに状況が悪化する。
くだらない。
本当にくだらない。
しかしよく考えると、肝心なものは何一つ映していない。
観客が影を見て勝手に想像し、その想像によって下ネタが完成する。
この映画には、こういう笑いが多い。
くだらないことを映像で成立させるために、大人たちが真剣に映画を作っている。
そこが妙に面白いのである。
『オースティン・パワーズ』シリーズは全3作
現在までに映画シリーズは3作品が公開されている。
初めて観るなら、基本的には公開順がおすすめである。
1作目『オースティン・パワーズ』
1997年公開。
1960年代から1990年代へ復活したオースティンとDr.イーブルの戦いを描くシリーズ第1作。
まず面白いのは、オースティンという人物そのものだ。
今の時代なら確実に浮いてしまう男が、本人だけは自信満々で世界最高のスパイを続けている。
シリーズの基本となる「時代のズレ」を最も純粋に楽しめる作品である。
一本だけ観るなら、まずこれをおすすめしたい。
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2作目『オースティン・パワーズ:デラックス』
1999年公開。
今度はタイムマシンによって1969年へ戻る。
ヘザー・グレアム演じるフェリシティ・シャグウェルや、Dr.イーブルの小型クローン「ミニ・ミー」も登場。
1作目で作られた世界を、さらに巨大化させたような作品である。
下ネタもキャラクターも馬鹿馬鹿しさも大幅に増加。
先ほど紹介したテントの影絵の場面も、この作品に登場する。
そして意外なところでは、この作品は第72回アカデミー賞のメイクアップ賞にノミネートされている。
Dr.イーブル、ファット・バスタード、ミニ・ミーなど、見た瞬間に人物像が分かるほど極端なビジュアルは、単なる悪ふざけではなかった。あれだけくだらないことをやりながら、映画を作る技術そのものはかなり本格的なのである。
シリーズの勢いが最も分かりやすく爆発している一本だと思う。
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3作目『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』
2002年公開。
ここまで来ると、単なる007パロディという枠を完全にはみ出している。
ビヨンセがフォクシー・クレオパトラ役で出演。
さらにマイケル・ケインが、オースティンの父親ナイジェル・パワーズを演じる。
Dr.イーブルやミニ・ミーに加えて、新たな悪役ゴールドメンバーまで登場し、とにかくキャラクターが濃い。
第1作から観てきた人ほど楽しめるシリーズ第3作である。
→『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』をPrime Videoでチェックする
こんなに面白いのに、なぜみんな観ていないのだろう
改めて3作品を振り返ると、不思議なシリーズである。
アメリカでは巨大ヒット。
日本でも決して失敗したわけではなく、第1作はミニシアターから口コミで広がり、第2作も映画ランキング上位に入った。
それなのに、現在の日本ではそこまで頻繁に名前を聞かない。
だが今観ても面白い。
むしろ時代がさらに進んだことで、1960年代と1990年代のズレだけではなく、1990年代そのものまで昔になった。
2020年代の私たちは、1960年代を笑う1990年代の映画を観て笑っている。
そこには二重の時間差が生まれている。
そして日本人が昭和を振り返るときの、
「今なら許されない。でも妙に楽しそうだ」
という感覚まで重なってくる。
『オースティン・パワーズ』は、ただの下品なスパイ映画パロディではない。
昔の価値観と現在の価値観がぶつかった瞬間を、徹底的にくだらない笑いへ変えてしまった映画なのである。
まだ観たことがない人には、ぜひ一度観てほしい。
そして観終わったあと、おそらく同じ疑問を持つはずだ。
こんなに面白いのに、なぜ周りで観ている人がこんなに少ないのだろう、と。
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そして、こうした「面白いのに、日本では今あまり話題に上らない映画」は『オースティン・パワーズ』だけではない。
その一つが『バタフライ・エフェクト』である。
2004年公開のSFサスペンスで、過去を変えるたびに現在が大きく変化していく物語は、公開から時間が経った現在でも十分に面白い。
派手なシリーズ作品ではないため話題に上る機会は少ないが、観た人の記憶には強く残る映画である。



