山岳ベース事件を理解するには、事件の経過だけでなく、連合赤軍内部の人間関係を押さえる必要がある。
連合赤軍は、もともと一つの組織ではなかった。森恒夫らの赤軍派と、永田洋子らの革命左派・京浜安保共闘が合流して生まれた組織である。
山岳ベースでは、この二つの流れが合体したあと、森恒夫と永田洋子が事実上の中心になっていく。
森恒夫は赤軍派側の指導者だった。
赤軍派は、塩見孝也や高原浩之ら初期指導部が逮捕され、田宮高麿らがよど号ハイジャック事件で北朝鮮へ渡ったことで、国内に残った組織が大きく弱体化していた。
その空白を埋めるように森が前面に出た。
一方、永田洋子は革命左派側の中心人物だった。
永田は坂口弘と事実婚に近い関係にあったとされる。
坂口弘もまた革命左派側の幹部であり、のちに連合赤軍では書記長の位置に置かれる。
つまり、山岳ベースの中には、赤軍派、革命左派、男女関係、党派内の序列が複雑に絡んでいた。だが山に入ると、かつての組織秩序は崩れていく。
そこで上位に置かれたのが、森恒夫の「総括」理論と、永田洋子の判断だった。
森恒夫|赤軍派残党のトップから山岳ベースの支配者へ
森恒夫は、連合赤軍の委員長にあたる人物である。
もともと赤軍派には、塩見孝也、高原浩之、田宮高麿らの初期指導部がいた。しかし、逮捕や国外脱出によって国内赤軍派の中心は崩れていった。森はその後に残った赤軍派を率いる立場になった。
山岳ベースでは、森が「総括」の理論を強めていく。
総括とは、本来は自分の行動や思想を点検し、自己批判するという意味を持つ言葉だった。しかし森のもとでは、総括は暴力によって人間を作り替えるようなものへ変質した。
「総括できていない」と判断されれば、暴行は続く。
何を言えば総括が終わるのか。どこまで反省すれば許されるのか。その基準は曖昧だった。
山岳ベースでは、森の言葉が裁判のように機能しはじめる。
誰を問題にするか、誰が総括できていないか、誰を追い詰めるか。
森の理論は、閉じた山中で暴力の根拠になっていった。
森恒夫は逮捕後、裁判中の1973年に東京拘置所で自殺した。
永田洋子|革命左派の指導者から連合赤軍の副委員長へ
永田洋子は、連合赤軍の副委員長にあたる人物である。
永田はもともと革命左派・京浜安保共闘の中心人物だった。森恒夫の赤軍派と合流したことで、連合赤軍の最高幹部の一人となった。
山岳ベース事件では、森恒夫と並んで中心人物とされた。特に女性メンバーへの攻撃では、永田の感情や人間関係が強く影を落としている。
その象徴が、遠山美枝子である。
遠山は、指輪を外さなかったこと、髪をとかしたこと、唇にクリームを塗ったことなどを問題視され、「革命戦士らしくない」と攻撃された。これは思想上の批判というより、女性性や身だしなみそのものが裁かれた面が強い。
遠山への攻撃には、思想だけでなく、嫉妬やコンプレックスのような感情が入り込んでいた可能性がある。
永田洋子は1982年に東京地裁で死刑判決を受け、1993年に死刑が確定した。
しかし執行されることはなく、2011年に東京拘置所で病死した。
坂口弘|永田洋子と関係を持った書記長、そして死刑確定者
坂口弘は、連合赤軍の書記長にあたる人物である。
もともとは革命左派側の幹部で、永田洋子とは事実婚に近い関係があったとされる。連合赤軍では森恒夫、永田洋子に次ぐ中心人物となり、山岳ベース事件にも深く関与した。
その後、坂口弘はあさま山荘事件の立てこもりメンバーの一人となる。
あさま山荘事件では、坂口、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久の5人が山荘に立てこもった。
坂口弘は逮捕後、山岳ベース事件やあさま山荘事件などを含めて裁かれ、死刑が確定した。
永田洋子が病死した後も、坂口弘は死刑確定者として収監されている。
関連記事:あさま山荘とは何だったのか
坂東國男|日本赤軍によって釈放され、国外へ逃亡した
あさま山荘に立てこもった5人の中で、事件後に最も特殊な経緯をたどったのが坂東國男である。
坂東國男は、もともと赤軍派の流れにいた人物である。
坂東國男は、あさま山荘事件後に逮捕された。しかし、1975年のクアラルンプール事件で、日本赤軍が日本政府に対して服役・勾留中のメンバーらの釈放を要求すると、坂東もその対象となった。
日本政府は超法規的措置として要求を受け入れ、坂東國男は釈放されて国外へ出た。
つまり坂東國男は、連合赤軍のあさま山荘事件と、日本赤軍の国際事件をつなぐ人物でもある。
国内で自壊した連合赤軍のメンバーが、後に日本赤軍の事件によって国外へ出る。
ここに、連合赤軍事件が1972年で完全に閉じたわけではないことが見えてくる。
日本赤軍については、こちらの記事で時系列から整理している。
関連記事:日本赤軍とは何だったのか
遠山美枝子|重信房子の友人であり、高原浩之の妻だった女性
遠山美枝子は、山岳ベース事件で殺害された女性メンバーの一人である。
遠山は赤軍派のメンバーであり、赤軍派最高幹部だった高原浩之の妻とされる。また、重信房子とも近い関係にあった。重信が中東へ渡り、日本赤軍へ進んだ一方で、遠山は国内に残り、連合赤軍に合流した。
重信房子は海外へ向かった。
遠山美枝子は山へ入った。
同じ赤軍派の女性活動家でありながら、二人の運命はまったく違う方向へ裂けていった。
遠山は山岳ベースで「総括」の対象にされ、暴行を受け、1972年1月に死亡した。彼女が攻撃された理由には、指輪、髪、リップクリームなど、女性としての身だしなみに関わるものが含まれていた。
つまり遠山美枝子は、政治的な裏切り者として殺されたというより、山岳ベースの中で「女らしさ」や「華やかさ」を裁かれた人物でもあった。
この点で、遠山の死は山岳ベース事件の異常さを象徴している。総括という言葉は、思想の点検ではなく、人間の存在そのものを否定する刃になっていた。
生き残った者たちのその後
山岳ベースに集まったメンバーは、乳児を除けば29人とされる。そのうち12人が総括リンチなどによって死亡した。つまり、生き残ったのは17人である。
ただし、生き残った17人全員が同じように有罪判決を受けたわけではない。
まとめると以下のようになる。
| 人物 | 立場 | 関係 | その後 |
|---|
| 森恒夫 | 赤軍派側の指導者、連合赤軍委員長 | 総括理論を主導 | 逮捕後、1973年に東京拘置所で自殺。判決なし |
| 永田洋子 | 革命左派側の指導者、連合赤軍副委員長 | 森とともに山岳ベースを主導。坂口弘と事実婚的関係 | 死刑確定。2011年に東京拘置所で病死 |
| 坂口弘 | 革命左派幹部、連合赤軍書記長 | 永田洋子と関係。あさま山荘組の一人 | 死刑確定。収監中とされる |
| 遠山美枝子 | 赤軍派メンバー | 高原浩之の妻。重信房子の友人 | 山岳ベースで総括対象となり、1972年1月に死亡 |
| 高原浩之 | 赤軍派最高幹部 | 遠山美枝子の夫。事件時は獄中 | 事件後、連合赤軍問題について総括・謝罪の言葉を発する |
| 吉野雅邦 | 連合赤軍メンバー、あさま山荘組 | 山岳ベースを生き残る | 無期懲役 |
| 坂東國男 | 連合赤軍メンバー、あさま山荘組 | 山岳ベースを生き残る | 超法規的措置で釈放後、国外逃亡 |
| 植垣康博 | 連合赤軍メンバー | 山岳ベースを生き残り、のちに証言者となる | 懲役20年。出所後、事件について証言 |
まとめ
山岳ベース事件は、組織名や事件名だけを追っても実像が見えにくい。
重要なのは、誰が指導し、誰が「総括」の対象になり、誰が死亡し、誰が生き残ったのかである。
この記事では、連合赤軍の主要人物を整理し、山中で起きた内部崩壊の構図と、その後の結末を見ていった。
森恒夫は逮捕後、裁判中に自殺した。
永田洋子は死刑が確定したが、執行されずに病死した。
坂口弘は死刑が確定した。
吉野雅邦は無期懲役となった。
坂東國男はクアラルンプール事件の超法規的措置で釈放され、国外へ逃亡した。
加藤倫教、加藤元久は当時少年であり、それぞれ刑務所・少年院を経て社会に戻ったとされる。
植垣康博は懲役20年の判決を受け、服役後に出所した。
山岳ベース事件は、12人が殺された事件であると同時に、生き残った者たちの人生をも長く拘束した事件だった。
ある者は死刑囚となり、ある者は無期懲役となり、ある者は逃亡者となり、ある者は証言者となった。
事件は1972年に終わったわけではない。
死刑、獄中、逃亡、証言、謝罪という形で、その後も続いていった。
山岳ベース事件の人物関係を映像で理解するなら、若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』がある。坂井真紀が演じる遠山美枝子の場面はとくに重く、連合赤軍内部の空気がどのように変質していったのかを強く印象づける。
山岳ベース事件からあさま山荘事件までの流れについては、別記事で整理している。人物関係を知ったうえで読むと、連合赤軍がどのように山中で自壊し、最後にあさま山荘事件へ至ったのかが見えやすくなる。
また、連合赤軍という組織そのものについては、こちらの記事で整理している。
赤軍派と革命左派の合流、山岳ベースでの内部崩壊、日本赤軍との違いを知る入口になる。



