三上博史が主演した映画『予言』を久しぶりに思い出した。2004年に公開された、つのだじろうの漫画『恐怖新聞』を基にした映画である。
監督は鶴田法男。三上博史のほか、酒井法子、堀北真希らが出演している。
公式にもホラー映画として紹介されており、『感染』と共にJホラーシアターの作品として公開された。だから『予言』をホラー映画と呼ぶこと自体は間違っていない。
しかし、私自身はこの映画をホラーとして記憶していなかった。
怖かったとか、不気味だったという記憶よりも強く残っていたのは、未来を知ってしまった男が家族を救うために運命へ抗い続け、最後には自分自身を差し出す物語だったからである。
映画『予言』とは|三上博史主演、原作は『恐怖新聞』
『予言』は、2004年10月2日に公開された日本のホラー映画である。
監督は『リング0 バースデイ』などを手がけた鶴田法男。『感染』と同時公開され、Jホラーシアターの一作として製作された。
主人公・里見英樹を演じるのは三上博史。その妻・綾香を酒井法子が演じている。
主な登場人物とキャストは次の通りである。
- 里見英樹:三上博史|主人公。物語の冒頭では大学講師で、妻と娘と暮らしている。電話ボックスで娘・奈々の死亡を予告する新聞を発見し、その直後に予言どおり娘を失う。3年後には高校教師となっているが、再び「恐怖新聞」と遭遇し、未来を変えようとするようになる。
- 立原綾香:酒井法子|英樹の妻。娘・奈々の事故後、英樹とは離婚する。しかし事故の際に現れた新聞の謎を独自に追い続け、大学で研究を進めていた。やがて英樹と再会し、ともに恐怖新聞の正体を調べることになる。
- 若窪沙百合:堀北真希|3年後、英樹が勤務する高校の生徒。
- 御子柴聡子:吉行和子|綾香が恐怖新聞について調査する過程で出会う予言者。
- 鬼形礼:山本圭|恐怖新聞について研究していた人物。
- 宮本美里:小野真弓|綾香とともに心理学の研究に携わる人物。
- 里見奈々:井上花菜|英樹と綾香の幼い娘。
物語のもとになったのは、つのだじろうの漫画『恐怖新聞』である。
夜中になると突然届き、これから起こる事件や人の死を知らせる「恐怖新聞」。読むたびに寿命が縮むという怪異を描いた、1970年代を代表するオカルト漫画の一つである。
映画『予言』は、この『恐怖新聞』をそのまま実写化した作品ではない。
「未来の出来事を知らせる新聞」という原作の核を使いながら、娘を失った父親と家族の物語へと大きく組み替えている。
そのため映画を見たあとに原作を読むと、同じ「恐怖新聞」でもかなり違う世界が広がっていることが分かる。
なお、現在Amazonでは『恐怖新聞』の電子書籍版をKindle Unlimited対象として0円で読める。
すでにKindle Unlimitedを利用している人なら、追加料金なしで原作を読むことができる。
また、Kindle Unlimitedをまだ利用していない場合も、無料体験の対象になっていれば、体験期間を利用して読むことができる。
映画『予言』が気になった人には、映画だけで終わらず、一度原作の『恐怖新聞』にも触れてみてほしい。
※この先は映画『予言』の結末を含む。
新聞に書かれていた、まだ起きていない娘の死
主人公の里見英樹を演じるのが三上博史である。
妻の綾香、幼い娘の奈々と車で移動していた里見は、仕事のため立ち寄った電話ボックスで古びた新聞を発見する。
そこに書かれていたのは、奈々の死亡記事だった。
まだ娘は生きている。
ところが直後、大型トラックが奈々の乗っていた車に衝突する。
新聞に書かれていた未来が、そのまま現実になってしまう。
存在するはずのない新聞。
これから起きる死。
それを知ってしまった人間。
娘を失った父親は、壊れた人間に見えていく
事故から3年後。
奈々を失った里見は妻の綾香とも離婚し、高校教師として暮らしている。
しかし、娘の死から立ち直ったわけではない。
そして彼の前に、再びあの新聞が現れる。
今度は自分の教え子が通り魔に殺されるという記事だった。
その予言も現実になる。
ここから里見は、次第に普通の日常から離れていく。
未来の死が見える。
新聞が現れる。
その内容を信じ、まだ起きていない事件について語る。
里見の周囲にいる人間から見ればどうだろう。
存在しない新聞について話し、まだ起きていない死を恐れ、その予言に取り憑かれる男である。
外側から見れば、妄想や幻覚に支配されているようにも見える。
本人にとっては間違いなく現実なのに、他人から見れば壊れていく人間にしか見えない。
里見と元妻の綾香が「恐怖新聞」に関わった過去の事例を調べる途中で、精神病院に長期間収容されている男性を訪ねる場面がある。
恐怖新聞に取り憑かれ精神病院に収容された少年は、ノートから壁へ、さらに自らを傷つけて血文字を書くまで、「書く」という行為を止められなくなっていく。その姿は、耳なし芳一を思わせるほど異様である。
この映画が、ただのホラーでない理由がここにある。
怪異による恐怖と、人間が社会から孤立していく恐怖が重なっている。
私は『予言』のこの部分が妙に記憶に残っている。
未来を知ることは、未来を変えられることではない
普通なら未来を知ることができれば、悲劇を防げるように思える。
事故が起きる場所が分かっているなら近づかなければいい。
誰かが殺されると分かっているなら助ければいい。
だが『予言』では、そう簡単にはいかない。
里見と綾香が恐怖新聞について調べていくと、過去にも同じものを見た人間がいたことが分かってくる。
そして未来を変更した人間にも、代償が待っていた。
つまり恐怖新聞は、未来を教えてくれる便利な道具ではない。
むしろ逆で、未来を知ってしまうこと自体が呪いになる。
知らなければ、悲劇は悲劇として終わる。
しかし、知ってしまえば、「救えたのではないか」という責任が生まれる。
里見が娘の死から立ち直れない理由も、単に娘を失ったからだけではない。
自分は娘が死ぬことを直前に知っていた。
それなのに救えなかった。
その事実が彼を縛り続けている。
そして『予言』は時間を飛び越える物語になる
物語の終盤、恐怖新聞は綾香の死を予告する。
里見は彼女を救う。
だが未来を変えれば、自分にも代償が訪れる。
里見は時間と空間を飛び越え、娘を失ったあの日へ戻る。
あの電話ボックス。
あの車。
あの事故。
人生を決定的に変えた瞬間である。
映画はこの場面を繰り返す。
もしあのとき違う行動をしていたら。
もし娘を車から降ろしていたら。
もし妻がそこにいたら。
人間なら誰でも一度くらい考えたことがある「あのとき別の選択をしていれば」という願望が、現実になっていく。
しかし何度やり直しても、誰かが犠牲になる。
そこで里見は気づく。
娘を救うために必要なのは、別の誰かを犠牲にすることではない。
自分が犠牲になればいい。
最終的に里見は自ら事故の犠牲となり、娘を救う。
ここまで来ると、私にはもう『予言』はホラー映画には見えない。
父親が娘の死を受け入れられず、ついには自分の命と引き換えに過去を書き換える物語になっている。
『バタフライ・エフェクト』と重なる瞬間
ここで思い出すのが『バタフライ・エフェクト』である。
あの映画も、主人公エヴァンが過去へ戻り、自分や周囲の人間の人生を変えようとする。
しかし、一つを直せば別の何かが壊れる。
誰かを救えば誰かが不幸になる。
望んだ未来を作ろうとするほど、世界は別の場所から歪んでいく。
『予言』と『バタフライ・エフェクト』は設定としてはかなり違う。
一方は恐怖新聞という怪異。
もう一方は過去を書き換えるSFである。
それでも終盤になると、二つの作品は同じ問いに近づいていく。
愛する人を救うためなら、自分自身を犠牲にできるのか。
特に『バタフライ・エフェクト』のディレクターズカット版では、このテーマが極端な形まで進む。
劇場公開版では、エヴァンはケイリーと関わらない人生を選ぶが、ディレクターズカット版では、さらに自分自身の存在そのものを消す方向へ進む。
自分が存在しなければ、愛する人々は不幸にならない。
その発想は、『予言』で里見が最後に選ぶ自己犠牲とよく似ている。
関連記事:映画『バタフライ・エフェクト』何度生きなおしても救えない理由とラスト2通りの意味
ただし「時間」と「運命」は違う
それでも二つの作品には大きな違いがある。
『バタフライ・エフェクト』の世界では、過去を変えることで未来が変わる。
一つの出来事が別の出来事へ連鎖し、人生そのものが変化していく。
つまり中心にあるのは因果関係である。
しかし『予言』は少し違う。
こちらでは未来を変えようとしても、死が別の形で追いかけてくる。
誰かを助けても、それで終わらない。
未来そのものが帳尻を合わせようとしているように見える。
『バタフライ・エフェクト』が、
「過去を変えれば未来が変わる」
という物語なら、『予言』は、
「未来を変えても運命は追いかけてくる」
という物語なのである。
前者は時間と因果律のSF。
後者は運命をめぐる怪談。
入口は違う。
だが最後には、どちらも「それなら自分を消せばいい」という場所へたどり着く。
父親が死んでも、恐怖新聞は終わらない
里見は自分を犠牲にすることで奈々を救う。
それなら物語は、父親の自己犠牲によって家族が救われた話として終わってもよさそうである。
しかし『予言』は、そんなきれいな終わり方を許さない。
最後に奈々のもとへ、再び新聞が現れる。
里見は娘の運命を変えることができた。
しかし恐怖新聞そのものを消したわけではない。
一人の人間が運命に勝つことはできても、世界から死や悲劇がなくなるわけではない。
父親の自己犠牲によって閉じたはずの物語の外側に、まだ何かが存在している。
救いと不吉さが同時に残るラストである。
『予言』は恐怖ではなく、諦められない人間の映画だった
改めて考えると、私が『予言』をホラー映画として記憶していなかった理由が分かる。
もちろん恐怖新聞は怖い。
未来の死亡記事が届くという設定も十分にホラーである。
しかし、この映画で本当に恐ろしいのは別のことなのかもしれない。
もし愛する人の死を事前に知ってしまったら。
もし一度だけあの日へ戻れるなら。
そして、自分が死ねばその人を救えると分かったら。
自分ならどうするのか。
里見は最後まで娘の死を諦めなかった。
そして最終的に、世界を変えるのではなく、自分自身を差し出した。
だから私の記憶の中に残っていたのは、恐怖新聞ではなかったのだと思う。
残っていたのは、娘を救うために何度もあの日をやり直す三上博史の姿だった。
『予言』はホラー映画である。
しかし同時に、取り返せないはずの過去を、それでも取り返そうとする人間の物語でもある。
映画『予言』はどこで見られる?
2026年10月現在、『予言』はNetflixやPrime Video、U-NEXTなど、主要な動画配信サービスでは配信を確認できない。
20年以上前の作品ということもあり、見たいと思ってもすぐに配信で再生できない映画になっている。
DVDはAmazonで販売している。
▶予言 プレミアム・エディション [DVD]をAmazonで見る
購入するまでもないという人は、TSUTAYA DISCASのDVD宅配レンタルで取り扱われている。
『予言』をもう一度見たい人、この記事を読んで初めて見てみたいと思った人は、DVDレンタルで探すのが現実的な方法の一つである。
▶【TSUTAYA DISCAS】DVDレンタルTSUTAYA DISCASは、ネットでDVDを選ぶと自宅まで郵送され、見終わったらポストに返却できる宅配レンタルサービスである。
動画配信では見つからない旧作や、『バタフライ・エフェクト』や『予言』など現在配信されていない映画を探すときには意外と使える。
配信サービスが中心になった現在だからこそ、『予言』のような作品を追いかけていると、DVDでしかたどり着けない映画がまだ残っていることに気づく。
映画『予言』が好きな人は、きっと『バタフライ・エフェクト』も好きなはずだ。



