北朝鮮による日本人拉致事件と聞いたとき、多くの人が思い浮かべるのは、日本国内で突然姿を消した人々である。
海岸付近で消息を絶ち、その後、北朝鮮へ連れ去られていたことが判明する。
しかし、政府認定の拉致被害者のなかには、まったく違う経路で北朝鮮へ渡ったとみられている人々がいる。
石岡亨、松木薫、有本恵子の3人である。
3人が消息を絶った場所は日本ではない。
ヨーロッパだった。
そして日本の警察は、その背後によど号グループがいたとみている。現在も、よど号事件の実行犯・魚本公博と、実行犯の妻である森順子、若林佐喜子について拉致事件に関係する逮捕状を取得し、国際手配している。
1970年に北朝鮮へ渡った若者たちの物語は、ハイジャック事件では終わっていなかったのである。
よど号事件とは何だったのか
1970年3月31日、共産主義者同盟赤軍派の田宮高麿ら9人が、東京発福岡行きの日本航空351便、通称「よど号」をハイジャックした。
一行は最終的に北朝鮮へ入り、そのまま現地に残った。
なぜ彼らが北朝鮮を目指したのか、事件がどのように起きたのかについては、別記事で詳しくまとめている。
関連記事:よど号事件とは|赤軍派9人はなぜ北朝鮮へ向かったのか
よど号グループは、当初から日本人拉致を目的として北朝鮮へ渡ったわけではない。
しかし北朝鮮で生活するなかで、その活動は変化していったと日本の捜査当局はみている。
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北朝鮮で続いた「日本革命」
警察庁によれば、よど号グループは北朝鮮へ渡った後、朝鮮労働党の指導のもと、金日成主義に基づく「日本革命」を目指す活動を続けたとされる。
そして、そのために必要とされたのが日本人の「獲得」だった。
2001年、かつてグループと行動をともにしていた元妻が、金日成の指示に基づいて日本人を獲得する工作に従事していたと供述した。
警察庁は、この供述などから、よど号グループが日本革命を担う人材を獲得し、さらに次の世代へ革命を継承する構想を持っていたと説明している。
なぜ拉致の舞台はヨーロッパだったのか
北朝鮮拉致問題について、日本国内から人を力ずくで連れ去るイメージだけを持っていると、よど号グループの事件はわかりにくい。
現在、日本の警察がよど号グループの関与を特定している政府認定拉致被害者3人は、すべてヨーロッパで消息を絶している。
しかも、その方法も異なる。
突然襲って連れ去るのではない。
「共産圏を旅行しないか」
「アルバイトを紹介する」
といった言葉で接触し、移動させていったと捜査当局はみている。
いわば、日本国内で起きた一部の事件が「連れ去り型」だとすれば、よど号グループが関与したとされる事件は、海外にいる日本人への「勧誘・誘導型」だったのである。
ただし、よど号グループの活動全体がヨーロッパだけで行われていたという意味ではない。
あくまで、現在警察がグループとの直接的な関係を認定している3人の拉致事件が、いずれも欧州を舞台としていたということである。
石岡亨と松木薫、マドリードでの接触
1980年、石岡亨と松木薫はヨーロッパ滞在中に消息を絶った。
石岡は当時22歳、松木は26歳だった。
警視庁によれば、2人がスペイン・マドリードに滞在していた際に接触したのが、よど号犯の妻だった森順子と若林佐喜子である。
2人は石岡らに「共産圏を旅しないか」などと誘い、その後北朝鮮へ連れ込んだと警察は判断している。
森と若林については、石岡、松木両名に対する結婚目的誘拐容疑で逮捕状が出され、現在も国際手配されている。
有本恵子、ロンドン留学から北朝鮮へ
有本恵子は1982年に英国へ留学した。
そして翌1983年、ヨーロッパで消息を絶った。当時23歳である。
有本に接触した人物は、よど号犯の元妻である八尾恵である。
八尾は2002年、東京地裁で証人として出廷し、北朝鮮へ渡った後、田宮高麿の指示を受け、ヨーロッパや日本で日本革命を担う日本人の「発掘、獲得、育成」に携わったと証言した。
国会でも、この法廷証言が取り上げられている。
警視庁によれば、有本には「マーケットリサーチのアルバイトを紹介する」などと話を持ちかけたとされる。
その後、有本の拉致実行犯として特定されたのが、よど号事件の実行犯の一人、魚本公博(旧姓・安部公博)である。
魚本についても結婚目的誘拐容疑で逮捕状が出され、国際手配が続いている。
1988年、日本へ届いた石岡亨からの手紙
3人が北朝鮮にいたことを示す重要な出来事が起きたのは1988年だった。
石岡亨から日本の家族へ手紙が届いたのである。
手紙はポーランドから投函されていた。
そこには、
石岡亨
松木薫
有本恵子
の3人が北朝鮮に滞在していることが記されていた。
ヨーロッパで別々に消息を絶した3人が、ここで初めて一本の線につながった。
なぜ「結婚目的誘拐」なのか
魚本公博、森順子、若林佐喜子に出されている逮捕状を見ると、一つ気になる言葉がある。
「結婚目的誘拐」である。
なぜ単なる誘拐ではないのか。
警察庁は、この背景について、よど号グループが金日成から「代を継いで革命を行わなければならない」という趣旨の指示を受け、日本革命を担う人物の獲得工作を行っていたと説明している。
さらに、獲得した日本人男性と結婚させるため、日本人女性を拉致した疑いがあるとしている。
つまり日本人を北朝鮮へ集め、その世代だけではなく、次の世代まで含めた革命運動を構想していたというのが日本の捜査当局の見方である。
ここまで来ると、よど号事件は1970年のハイジャックだけを見ていても理解できない。
北朝鮮に渡った後、誰と結婚し、どのような活動を行い、子供たちはどうなったのか。
その後のよど号グループについては別記事でまとめている。
関連記事:よど号メンバーのその後|北朝鮮へ渡った9人と妻・子供たちはどうなったのか
北朝鮮は3人が北朝鮮にいたこと自体は認めた
2002年の日朝交渉以降、北朝鮮側は石岡、松木、有本の3人が北朝鮮にいたこと自体は認めた。
一方で、よど号グループによる拉致への関与については認めていない。
北朝鮮側は、石岡と有本についてガス事故で死亡、松木について交通事故で死亡したなどと説明した。日本政府はこれらの説明に不自然な点が残るとしており、松木のものとして提供された「遺骨」についても、日本側の鑑定では別人のものと確認された。
3人について、日本政府は現在も安否未確認の拉致被害者として扱っている。
よど号グループ側は拉致への関与を否定している
一方、よど号グループ側は拉致事件への関与を否定している。
魚本公博、森順子、若林佐喜子は、逮捕状の請求が違法だったとして国家賠償請求訴訟も起こしたが、2015年に最高裁で原告側の敗訴が確定した。
ただし、この裁判結果を「拉致事件について有罪判決が確定した」と理解するのは正確ではない。
3人は拉致事件について日本国内で刑事裁判を受けていない。
現在の状況は、日本の捜査当局が拉致事件の実行犯として特定して逮捕状を取得している一方、本人側は関与を否定しているというものである。
よど号事件は1970年で終わっていない
よど号事件だけを見ると、物語は1970年で止まる。
赤軍派の若者9人が旅客機を奪い、北朝鮮へ渡った事件である。
しかし、その後を追っていくと風景が変わる。
北朝鮮で暮らし始めたメンバーたち。
日本から渡った妻たち。
ヨーロッパで行われた日本人への接触。
石岡亨、松木薫、有本恵子の失踪。
そして現在も続く国際手配。
警察庁は現在も、魚本公博、森順子、若林佐喜子を拉致事件に関係する被疑者として国際手配し、北朝鮮に身柄の引き渡しを求めている。
北朝鮮による日本人拉致問題には、日本国内から人々が連れ去られた事件だけではなく、海外にいた日本人が、同じ日本人を通じて北朝鮮へ導かれたとされる事件も存在する。
その一つの線上に、よど号グループがいるのである。




