よど号ハイジャック事件とは何だったのか|赤軍派が北朝鮮へ渡った日本初の航空機ハイジャック

よど号ハイジャック事件とは何だったのか 書物私論
※本ページはプロモーションが含まれています

1970年3月31日、日本航空351便、通称「よど号」がハイジャックされた。

乗客と乗員を人質に取ったのは、共産主義者同盟赤軍派のメンバーたちだった。

彼らは北朝鮮の平壌行きを要求し、途中で福岡、韓国の金浦空港を経由したあと、最終的に北朝鮮へ渡った。

これが、よど号ハイジャック事件である。

日本で初めて起きた航空機ハイジャック事件として知られているが、この事件は単なる航空テロではない。

よど号事件は、赤軍派の一部が日本国内から国外へ飛び出していった最初の事件だった。

スポンサーリンク

よど号ハイジャック事件とは

よど号ハイジャック事件は、1970年3月31日に起きた日本初の航空機ハイジャック事件である。

羽田空港を出発した日本航空351便は、本来であれば福岡へ向かう国内線だった。しかし、赤軍派メンバー9人が機内でハイジャックを実行し、乗客と乗員を人質に取った。

犯人グループは北朝鮮の平壌行きを要求した。

その後、よど号は福岡空港へ着陸し、一部の乗客を解放する。

さらに韓国の金浦空港へ向かい、最終的には北朝鮮へ渡った。

この事件は、日本国内の新左翼運動が国外へ飛び出した象徴的な事件でもある。

ただ飛行機が乗っ取られた、というだけではない。

日本の若者たちが、世界革命という言葉を抱えたまま、現実の国境を越えた事件だった。

関連記事:新左翼運動とは何だったのか

実行したのは赤軍派メンバーだった

かなり混同されやすいが、よど号事件を起こしたのは、日本赤軍ではない。

よど号事件の実行犯たちは、共産主義者同盟赤軍派のメンバーである。赤軍派は、1960年代末の新左翼運動の中から生まれた武装闘争路線の組織で、国内での武装闘争だけでなく、海外に革命の根拠地を作る構想も持っていた。

よど号事件は、その赤軍派の軍事部門にいたメンバーたちが、北朝鮮へ渡るために起こした事件だった。

中心人物は、赤軍派の軍事委員長だった田宮高麿である。

この整理をしておかないと、赤軍派日本赤軍連合赤軍よど号グループがすべて同じものに見えてしまう。

赤軍派から各組織がどのように分かれていったのかについては、別記事で整理している。

関連記事:赤軍派とは何だったのか|よど号グループ、日本赤軍、連合赤軍がどのように分かれていったのか

よど号メンバー9人

よど号ハイジャック事件の実行メンバーは9人だった。

田宮高麿。
小西隆裕。
岡本武。
田中義三。
魚本公博。
若林盛亮。
赤木志郎。
吉田金太郎。
柴田泰弘。

この中で注目されるのは、やはり田宮高麿である。

また、岡本武は、日本赤軍メンバーとして知られる岡本公三の兄でもある。

なお、よど号メンバーの帰国、死亡、北朝鮮残留、国際手配、拉致問題との関係については、別記事で整理している。

関連記事:よど号メンバーのその後

なぜ北朝鮮へ向かったのか

よど号事件では、「キューバを要求した」と語られることがある。

しかし、事件当日の具体的な要求は、北朝鮮の平壌行きが正しい。

では、北朝鮮とは何だったのか。

それは、赤軍派が思い描いていた世界革命の地図の中に出てくる場所である。

当時の赤軍派は、日本国内だけで革命を起こすのではなく、海外に根拠地を作り、世界革命へ接続しようとしていた。

北朝鮮。
北ベトナム。
キューバ。

彼らの頭の中には、反米、社会主義、革命国家の地図が広がっていた。

そのうえで、現実の亡命先として選ばれたのが北朝鮮だった。

北朝鮮は日本から比較的近い。
反米・反日を掲げる社会主義国家でもあった。
当時の彼らには、そこが革命の足場に見えていたのだろう。

赤軍派の議長だった塩見孝也らが掲げた世界革命の発想が、その背景にあった。

ただし、事件当時、塩見はすでに逮捕されていた。そのため、よど号事件を「塩見理論の実行」と見ることはできる。しかし、「塩見が直接指揮して起こした事件」と単純に言うのは正確ではない。

関連記事:塩見孝也とは何者か|赤軍派議長、よど号事件、獄中20年、駐車場係の晩年

金浦空港の偽装作戦

よど号事件で有名なのが、韓国・金浦空港での偽装作戦である。

犯人たちは北朝鮮の平壌行きを要求したが、実際には韓国の金浦空港に着陸させられた。

韓国側は、金浦空港を平壌の空港であるかのように見せかけようとして、看板や装飾を変え、北朝鮮に到着したように装ったのである。

だが、この作戦は最終的には見破られた。

犯人側はそこが北朝鮮ではなく韓国であることに気づき、再び北朝鮮行きを要求する。そして最終的に、よど号は北朝鮮へ向かうことになった。

革命を掲げる若者たち。
人質を乗せた旅客機。
平壌に見せかけられた韓国の空港。
そして、国家間の緊張の中で進む交渉。

よど号事件は、日本国内の新左翼事件でありながら、最初から国際事件でもあった。

金浦空港を平壌の空港に見せかけた偽装作戦は、よど号事件の中でも特に異様な場面である。

その作戦はどのように動き、なぜ実現したのか。

この点をさらに詳しく知りたい方は、文庫本『「よど号」事件 最後の謎を解く』が参考になる。

よど号ハイジャック事件とは何だったのか

よど号ハイジャック事件とは何だったのか。

それは、日本初の航空機ハイジャック事件だった。

赤軍派メンバー9人が、乗客と乗員を人質に取り、北朝鮮へ渡った事件だった。

よど号事件を単独で見ると、奇妙なハイジャック事件に見える。

しかし、赤軍派の歴史の中に置くと、その意味は変わる。

よど号事件は、赤軍派の一部が国外に革命の根拠地を求めた事件だった。

よど号ハイジャック事件は、赤軍派が「世界へ出ようとした事件」である。

同時に、赤軍派の世界革命という夢が、北朝鮮という国家に閉じ込められていく事件でもあった。

その意味で、よど号事件は赤軍派の末路のひとつを示している。

よど号事件では、平壌へ向かったはずの機体が、なぜ韓国のソウル・金浦空港に降りたのかという大きな謎が残っている。

「よど号」事件 最後の謎を解くは、当時の対策本部長の視点から、平壌に向かったはずの「よど号」がなぜソウル・金浦空港に降りたのかを追い、最後の謎を解く鍵を握るアメリカ人乗客の存在に迫る一冊である。

本書は、よど号ハイジャック事件を、赤軍派側からではなく、また単なるハイジャック事件としてではなく、国家間の緊張、交渉、そして現場判断が交錯した事件として読み直すことが出来る。

『「よど号」事件 最後の謎を解く』をAmazonで見る

よど号メンバーのその後については、こちらの記事で詳しく整理している。

赤軍派から、よど号グループ、日本赤軍、連合赤軍がどのように分かれていったのかについては、別記事「赤軍派とは何か」で整理している。

よど号事件は、赤軍派の一部が北朝鮮へ渡った事件だった。

一方で、その翌年には赤軍派から重信房子らがパレスチナ方面へ向かい、のちの日本赤軍へとつながっていく。


日本赤軍はその後、ハイジャック事件や空港襲撃事件など、国際社会を震撼させる大事件を次々と起こしていくことになる。

赤軍派から日本赤軍へと続く流れについては、以下の記事で詳しく整理している。

タイトルとURLをコピーしました